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勤労動員

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 一九四一年十一月、政府は、「国民勤労報国協力令」を公布し、一四歳から四〇歳までの男子と、一四歳から二五歳までの未婚女子に、年間三〇日の「勤労奉仕」を義務付け、学徒に対しても軍需工場への「勤労動員」を開始した。これは、激しい「徴兵」と「徴用」によって、青壮年男子を中核とする国内の「人的資源」が枯渇し始め、一般労働者の「徴用」が困難になってきたために、その補充手段として取られた措置であり、以後、各地の軍需工場に対して、「勤労報国隊」や「女子挺身隊」が派遣され、「学徒動員」が繰り返して行われることになる。
 まず、「勤労報国隊」については、下松市の場合、すでに四二年に二回、翌四三年に四回ほど編成している(「昭和十七年、十八年事務報告書」)。本格的には、四三年になって、下松国民職業指導所が、下松警察署や下松市とともに、その編成計画を推し進め、七月には、「大政翼賛会」の下部組織に位置付けられていた産業報国会・商業報国会・農業報国会・海運業報国会や壮年団・婦人会・男女青年団、あるいは官公衙、常時一〇〇人以上を使用する会社・工場・事業場、および各種同業組合などごとに、一斉に「勤労報国隊」を結成させて、「決戦下」の生産増強に「寄与」させるとともに、十月には、「下松勤労報国隊」を編成して、小野田市の元山炭坑などに出動させている(「関門日報」七月十七日、十月六日付)。とりわけ、下松警察署は管内の土木建設や交通運輸などに携わる日雇労働者の組織化を進め、「下松労務報国会」として、公設市場内に事務所を設置させるとともに、四三年十月には、約二〇〇人の「緊急工作隊」を編成して随時の出動態勢を取らせ、下松市も、十一月、各町内ごとに「勤労報国隊」を結成させて、下松市内の大工場に「増援隊」を繰り出し始めている(同、四月三十日、十月十九日、十一月二十日付)。
 同様に、山口県医師会下松支部も、四三年五月には「医療報国隊」を結成しており、さらに翌四四年五月になると、下松市の働きかけで、市内在住の医師・歯科医師・薬剤師・看護婦・助産婦などを「総動員」し、「防空医療報国隊」を結成して、空襲に備えて市民の血液検査を計画している(同、一九四三年五月七日、同四四年五月六日付)。
 つぎに、「女子挺身隊」については、一九四三年五月、下松国民職業指導所が全国に「先駆け」て管内の未婚女性の職業予備登録を実施し、軍需産業への動員態勢を固めて、同年八月までに二回ほど「女子勤労報国隊」を結成させている(同、五月二十八日、同八月十一日付)。ついで同年九月、一四歳から二五歳までの未婚女子を「勤労挺身隊」に結成することが制度化されると、下松市にあっては、翌十月から十二月にかけて、初めて二〇人の「女子挺身隊」を日立製作所笠戸工場に出動させている(「下松市役所昭和十八年事務報告書」)。以後、翌四四年九月の時点での下松警察署の調査によると、管内に所在する笠戸船渠・日立製作所・日本石油・東洋鋼鈑の四大工場には、合計五二〇人の女子挺身隊員が出動しており、翌四五年四月までの八カ月間における出動状況は、表6に示したとおりであった(「学徒・女子挺身隊出動状況報告綴」)。

表6 下松警察署管内の女子挺身隊出動状況
動員工場笠戸船渠日立製作所笠戸工場日本石油下松製油所東洋鋼鈑兵庫ボルト
年月
1944年8月
93133610143
103033510102
113033210145
123034310127
1945年1月3034220
23033912910
33033791249
4303399123
(「学徒・女子挺身隊出動状況報告書綴」より作成)

 最後に、学徒の勤労動員については、早くは三八年から始まった食糧増産や土木工事への動員を初めとし、四一年からの軍需工場への動員開始を経て、四三年六月の「学徒戦時動員体制確立要綱」の決定で本格化しており、下松国民職業指導所は、同年八月から、管内一市七カ村の国民学校高等科の生徒と中等学校の生徒を対象にして、「夏季勤労実習」に動員し始めている。すなわち、四三年八月一日から十四日まで、二週間にわたって行われた国民学校高等科の生徒による夏季勤労実習の動員先と人数は、日立製作所笠戸工場二〇人、東洋鋼鈑下松工場三〇人、笠戸船渠下松造船所一三人、兵庫ボルト工場三人であり、下松工業学校生徒による学校勤労報国隊の動員先と人数は、日立笠戸工場三六人と日石下松製油所三六人であった。さらに高水中学校生徒による十一日から二十日までの学校勤労報国隊の場合、日立笠戸工場に六人で、下松高等女学校生徒による一日から十日までの学校勤労報国隊は、日立笠戸工場に四〇人であった(「関門日報」七月二十九日付)。

日立笠戸青年学校生徒の実習
(日立製作所『笠戸工場史』より)

 こうして、四四年五月から本格化した学徒の軍需工場への動員状況を、同年九月の時点における下松警察署の調査について点検すると、その管内の四大工場への学徒動員状況は、表7に示したとおりであり、その合計は二一五二人で、この内訳は、男子一五〇四人・女子六四八人であった(「学徒・女子挺身隊出動状況報告書綴」)。とくに、兵器や特殊潜航艇を生産する日立笠戸工場は、四四年度の最初の四半期において、光海軍工廠と神戸製鋼所長府工場につぐ、県下三番目の学徒動員割当数であった(「昭和十九年七月長官事務引継書」)。
表7 下松警察署管内工場の学徒動員状況(1944年9月)
工場名出身学校名・学年人 数出動率
笠戸船渠下松工業学校専修科2年2885.3%
東洋鋼鈑広島高校文科2年・理科2年9688.6
山口経済専門学校1年74100.0
柳井商工学校3年9097.1
山口工業3年 10995.2
下松高等女学校2年5287.0
修善高等女学校3年6097.6
下松国民学校高等科1・2年 13998.3
豊井国民学校高等科1・2年3798.1
公集国民学校高等科1・2年4396.6
中村国民学校高等科1・2年3495.4
日本石油広島工業専門学校2年2093.9
徳山女子商業学校1・2年45
日立製作所宇部工業専門学校3・2年3994.5
山口師範学校2年3694.9
下松工業学校3・4年9892.7
徳山商工学校5年9598.4
柳井商工学校3年3993.7
多々良中学校3・4年 22494.8
山口国学院1・2・3年4996.1
厚狭中学校3年 11498.1
小野田中学校3年 12999.0
公集国民学校高等科1・2年5595.9
豊井国民学校高等科1・2年3698.7
中村国民学校高等科1・2年3498.8
下松高等女学校3・4年 27796.3
桜ケ丘高等女学校3年10097.5
資料:「学徒・女子挺身隊出動状況報告綴」(山口県文書館蔵)