日中戦争の開始後、間もなく「節約貯金」による「国防献金」が「銃後の美談」として喧伝されるようになり、「節約」は軍需資材などの特定なものから、消費生活の細部にまで拡大して、徹底的な運動になった。末武南村では、一九三七年八月に、毎月一回発行の「村報」を創刊して、「時の考察」や「銃後の美談」などの記事とともに、「消費節約の目標」という欄を掲げ、「国民の義務」として、村民に軍需資材や輸入品などの消費節約を呼び掛け、また「農家の五則」を「農家は質素を旨となすべし」などと論じて、戦時の国策を徹底させている(「末武南村報」一九三七年十一月)。
また、日中戦争がいよいよ長期化し、諸物資の欠乏が目立ち始めた四〇年ごろになると、下松市長は、下松市農会長と連名で、各町内会長・農事実行組合長宛に、「須ラク艱難ヲ忍ビ、身ヲ挺シ、以テ聖戦目的貫徹ニ邁進スベキナリ」として、食糧増産とともに、「消費節約」や「生活改善」についての「戦時報国実践事項」を、つぎのように呼びかけた。以後、これらが戦時の市民生活の基本となった(村上家文書「一般社会通達書類綴」)。
戦時報国実践事項
聖戦既ニ四ケ年、物資ハ相当ニ消耗サレ、国民ノ生活上ニ多大ノ窮屈ヲ覚ユルニ至レルハ当然ノコトナリ、剰へ食料ニマデ不足ヲ来タセシニ至リタルハ、誠ニ憂慮ニ堪ヘザルナリ、此ノ時ニ当リ海外状勢ハ益々風雲急ヲ告ゲ、正ニ其ノ危機迫ルノ秋、物資食料ノ不足ハ国防上由々シキ一大事ナルハ言ヲ俟タザル処ナリ、此ノ上ハ国民一致、之ガ増産ハ元ヨリ其ノ消費ヲシテ最小限度マデニ節スル事ノ必要ナルヲ痛感ス、吾人ハ須ラク艱難ヲ忍ビ、身ヲ挺シ、以テ聖戦目的ノ貫徹ニ遭進スベキナリ、
第一 各戸励行事項
一、食糧増産
(多収)
イ、自給肥料増製
一、畜産=牛馬飼育・養鶏・養兎(児童利用)
二、緑肥=青刈大豆・青刈蚕豆・紫雲英
三、堆肥=促成堆肥・芝草採取・路上馬糞採取(児童)
四、木炭=木炭製造・燻炭製造・木炭貯蔵所設置
五、其ノ他=埋草庫設置・肥料溜設置・施肥ノ注意
ロ、水利
井戸掘リ・井堰改良・畦畔改善・水路修理
ハ、其ノ他
輪作・陰切リ・手入管理ヲ充分ニスル
(面積)
イ、寸尺ノ地ヲモ利用スルコト(児童奨励)
ロ、休閑地ノ生ゼシメザルコト(共同作業)
ハ、開墾ヲナスコト(共同収益地)
二、消費節約
イ、節米
一、代用食ヲ研究スルコト
二、米以外ノ食物ヲ詮索スルコト
三、落穂ヲ拾フコト(児童ニ依ル)
四、米ヲ一割五分節約シテ積立ツルコト
ロ、駄犬ヲ飼ハザルコト
ハ、客事ヲ廃スルコト
三、生活改善
イ、生活程度ノ切リ下ゲ
一、地下足袋或ハ自動車ノナカリシ時代マデニ切リ下ゲルコト(着物ハ一切買ハヌコト)(家建、造作ハ見合スコト)
二、廃物利用並ニ物資愛護ニ努ムルコト
三、贈答ハ中止スルコト
四、祝事ヲ廃止スルコト(誕生、節句、亥ノ子)
ロ、婚礼儀式ノ簡素
一、儀式ハ徹底的ニ縮小スルコト
二、支度ハ日常生活ニ必要ナルモノニ止メ其ノ他ハ公債ヲ持参スルコト(タンス、長持廃止)
三、客事ハ近親ノモノノミニ止ムルコト
ハ、葬祭ハ質素トスルコト
一、無酒トスルコト
二、近親並ニ五人組以外ハ飯ヲ出サザルコト
三、返礼ハ廃止スルコト
四、分ニ応ジテ献金スルコト
第二 組合励行事項
一、例会=毎月一回必ズ実行
二、時間励行=集会、一般寄合事共ニ時間励行スルコト
三、服装改善=集会其ノ他ノ集リ事ノ際ハ出易キ服装トスルコト
常時婦人ハモンペイヲ使用スルコト
四、共同作業ヲナスコト
田植、稲刈リ、麦播、麦刈リ、共同苗代、共同水番等
五、耕地分合
六、朝起、夕ナベ仕事ノ励行
七、共同収益地ノ設置