戦争遂行のための「国民精神総動員運動」は、とりわけ国家的な儀式典礼や祝賀会の実行を通して、国民各層に浸透させられた。すなわち、国民学校などで行われる「四大節」や、毎月八日を期して行われる「大詔奉戴日」、あるいは戦地からもたらされる「要地攻略」の報に基づいて行われる「戦捷祝賀会」などに、「戦時報国」の思想が盛り込まれ、それぞれ所属する職場や各町内会、部落会、あるいは壮年会、婦人会などを通して、出席すべき人数が割り当てられ、あらゆる階層の国民が、各種の行事や儀式に繰り返し動員されている。たとえば、戦争がいよいよ激しさを増した一九四二年の下松市では、「四大節」ごとに、各国民学校区内の下松市名誉職員、国民学校教員、児童、青年学校生徒、男女青年団体員などを集めて、合同の「拝賀式」を挙行して、「大詔奉戴日」には、市長以下の市吏員一同が花岡八幡宮に交互に参拝したり、二月十八日の「シンガポール陥落祝賀会」には、各町内会と部落会を通じて、市民の「提灯行列」への参加を求めている。
とりわけ、二月十一日の「紀元節」に当たっては、下松市長はつぎのような通知を各町内会長に発して、「国民奉祝ノ時間」の「宮城遙拝」とともに、各戸一人以上を指揮しての神社参拝を実施させている。
庶第一〇二号
昭和十七年二月五日
下松市長 弘中伝人
各町内会長殿
紀元節国民奉祝実施ニ関スル件
来ル二月十一日紀元節ノ国民奉祝行事、左記ニ依リ実施致度候条、貴町内会員各位へ御伝達ノ上、当日ノ佳節ヲシテ真ニ有意義ナラシムル様、御取計相煩度、此段及通知候也
記
一、当日午前九時ヲ「国民奉祝ノ時間」トス、尚「ラヂオ」ハ同時刻ニ「国民奉祝ノ時間」ノ放送ヲ行フ
二、各家庭ニ在リテハ「国民奉祝ノ時間」ニ夫々宮城遙拝ヲ行フコト
三、各町内会ニ於テハ最寄神社へ貴職指揮ノ下ニ、可成各戸一名以上合同参拝シ、必勝祈願ヲ行フコト
四、「国民奉祝ノ時間」ノ周知方法ハ従来「サイレン」等ニ依リタルモ、時局下音響管制ノ為不可能ニ付、「ラヂオ」及ビ正確ナル時計等ニヨリ適宜行フコト 以上
(村上家文書「令達綴」)