一九四一年十二月、政府が太平洋戦争を開始し、戦時体制を一段と強化したために、従来から慣習的に行われていた平和的な年中行事は次々に禁止され、下松市における市民生活も戦時色一色に塗りつぶされるようになった。すなわち同年十二月末、下松市役所は市内の各神社と寺院に対して、除夜の鐘が「音響管制」のために禁止されたことを通知し、翌々四三年には、下松地方で行われていた旧正月の慣習を「旧体制的風習」と断じて、とくに工場の休業を廃止することと、婦女子の晴着を慎むことの二項目について、つぎのような内容の通達を出している。
1、工場を休むことは、決戦下の増産に支障を来すことになるから、休業は絶対廃止すること
2、婦女子においては、晴着を着て歩くようなことも慎むこと
とりわけ、女性の服装については、ことあるたびに「華美」を戒める通知を繰り返しており、四三年八月には、「大日本婦人会下松支部」が主催して、「勝ち抜くための衣生活刷新懇談会」を開き、その場で「新らしい女子衣服の裁ち方・縫ひ方」や「古着の利用・更生方法」などを、国民学校や女子青年学校の教員を講師にして、全会員に伝習させる計画を練っている(「関門日報」八月三十一日付)。