幼稚園の普及と向上を推進するため、文部省は一八九九年(明治三十二)に「幼稚園保育及設備規程」を定め、翌年「小学校令施行規則(第九章幼稚園及小学校ニ類スル各種学校)」を制定して幼稚園の目的・保育項目・編成等について規定した。さらに、一九二六年(大正十五)に独立法に改めて「幼稚園令」および「幼稚園令施行規則」を公布し、幼稚園教育の充実を図った。
本市域では、昭和の初め日本メソジスト下松教会・同教会婦人部と在日本米国南メソジスト教会宣教師社団の協議によって、幼稚園の設立が計画され、一九二七年(昭和二)に認可を得て私立下松幼稚園を大字東豊井字土井に創立した。また同年、武居宇三郎も字下土井に私立下松慈光園を創設した。その後四〇年に花岡四恩保育園が東花岡に設立され、ついで四四年下松第二慈光園が東豊井、宮前社宅に開設されたが、いずれも保育園であって、幼稚園は戦後になって急速に伸展した。