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切山歌舞伎

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 切山下條の長重良が宝暦(一七五一年-六三年)の初めごろ、大坂難波の竹本座の浄瑠璃人形芝居や歌舞伎芝居を鑑賞して感動し、これに習って郷土歌舞伎を興し、切山住民の慰安に供したいと発意した。長男三四良は父の意志を受けて二三歳のとき、歌舞伎技能修得のため難波に赴き、三年の修業を積んで一七五六年(宝暦六)に郷里に帰り、村の青年一五人の参加を得て歌舞伎を教え、演技の錬磨に精進した。翌五七年、切山八幡宮秋季大祭にさいし、切山地区の五穀豊穰、平和安泰を祈願して歌舞伎を奉納し、好評を博した。以後毎年の秋季大祭に上演するようになった。
 その後も優れた後継者に恵まれて、切山歌舞伎の伝統をつちかい、広く各地からの招待に応じ、大正、昭和初期の隆盛期を迎えるに至った。戦後、復興して一九六八年(昭和四十三)に山口県無形文化財の指定を受けた。