前述の神仏分離令によって、従来、神職とともに神社の運営に当たっていた社坊(僧侶が事務をとっていた所。神に仕え民間の法要は行わなかった)は、このため寺院として独立し、または廃止するに至った。前者に属するものとして閼伽井坊(元花岡八幡宮社坊)、鷲頭(じゅとう)寺(元北辰妙見社社坊)、古桃林寺(元切山八幡宮社坊)、多聞院(元松尾八幡宮社坊)があり、いずれも真言宗寺院である。神社と真言宗の結びつきは、神仏習合、さらには神は仏の生まれかわりという本地垂迹(ほんじすいじゃく)説によるものであった(第三編第七章、4)。
他方、花岡村の受天寺が久米村の日面寺を合併して日天寺と改称したのをはじめ、その後も寺院の変動がみられ、変遷の激しい時代であった。