戦後、市民の蛋白源は鮮魚が主で、主食とともに配給統制が厳重に行われ、週一回一人二〇〇グラム程度配給されていた。鮮魚は地物の漁獲高は少なく、下関・萩・仙崎漁港からの近海産の送り物と抱き合わせで配給され、市民は主食の不足を補うため、この配給を頼みとしていた。配給方法は市から配給日時の通知があり、指定鮮魚店が荷車で町に運び、各家庭が買いに行く方法をとっていた。荷受機関として下松市鮮魚荷受協会(会長下松市長)が設置され、配給量の確保に当たった。市は荷受協会に対し、年々人件費等を助成し、助成額も四七年度には四〇万円に達した。それでも配給鮮魚の質の低下、遅配等が現れ市民の苦情や不正の噂が流れた。
一方、荷受協会では、困難な運営を打開するため、四八年十一月、市長に金銭的に市に迷惑はかけないという約束で、荷受協会を市直営に切り換えるよう、要望した。市では市民に対する鮮魚配給の確保のため、市議会の議決を得て、四九年三月、魚市場、荷受協会を市営として、鮮魚の荷受配給を始めた。
しかし、良質の鮮魚が思うように入荷ができず、調査の結果、仙崎・萩方面の出荷機関に旧荷受協会の未払いが相当な額に達しているらしいことが判明した。驚いた市は、市議会の議決を得ず、専決によって、魚市場から荷受を分離して新たに荷受機関を設置し、旧荷受協会の赤字を棚上げにし、鮮魚の集荷、配給の方途を立て、八月下松市魚市場条例の一部改正を市議会に提案した。
市議会は、市長の専決行為と市長が旧荷受協会の会長であったことに対する責任、赤字の金額と原因の明示を求めて、鋭い追及を行い、魚市場調査特別委員会を設置して、旧荷受協会の未払い額(赤字)、未払い先、未払い原因についての調査・究明に当たった。
調査の結果、赤字総額は二二六万七三二六円三三銭と判明した。この問題について石井市長は、五〇年二月市議会で、旧荷受協会に対する監督上の責任、詳細な調査をせず、市営とした軽率な措置、市議会の議決なしに新荷受協会を発足させたことの三点を認めた。一方、市の財政負担の軽減と市民に良質の魚介類の配給を継続するための市長の責務を強調して、債務を確定し、市営による鮮魚の集荷配給を継続した。五〇年四月から、鮮魚は漸次統制が撤廃されて自由販売となり、荷受協会を廃止した。またインフレの進行によって赤字額二三〇万円は、市財政を脅かす額でなくなり、市は同年魚市場特別会計を設置し、魚市場の利益の中から赤字を徐々に解消することとした。