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天皇・皇后両陛下の行幸啓

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 発展を続けてきた下松市に、一九五四年七月日本経済の不況による笠戸船渠の閉鎖という不測の事件が発生し、その再開と従業員の救済が市政の当面する緊急課題となった。また地方税法の改正が行われたことにより市の財政は大打撃を受け、財政再建を余儀なくされることになった。
 一方、米川村の合併に続き、翌五五年十二月下松市待望の温見ダムが完成し、市発展の基礎固めができた。五六年日本経済は一転して好況に転じ、二月笠戸船渠は市長を始め工場関係者の努力が実って、操業再開となった。このことは市内各企業の好況とあわせて市民に市勢発展への大きな期待を抱かせ、さらに天皇、皇后両陛下の行幸啓という慶事が重なった。四月七日山口県で開催された第七回全国緑化大会に行幸啓の天皇、皇后両陛下は、九日宿泊所の防府市毛利邸を出発、お召列車で十一時下松駅に到着。駅前広場で高齢者を先頭に多数の市民の歓迎を受けられ、お召自動車で沿道を埋める四万市民の歓呼と打ち振る日の丸の小旗の中を、東洋鋼鈑に向かわれた。
 工場では冷間圧延、メッキ工場をご覧の後、永年勤続者にお言葉があり、続いて日立製作所笠戸工場でインド向け機関車、ケーブルカーの製作をご覧になり、性能等についてのご下問や激励のお言葉があって、三時過ぎ離松された。
 この行幸啓は、四七年ご来県のさい、下松市訪問が中止になったいきさつから、市民の待望久しく、両陛下を目のあたりにして市民の感激は一入であった。