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山中市長と総合計画

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 河口市長の逝去に伴う下松市長選挙は五月行われ、即日開票の結果、前市助役山中健三が、市財政の第一人者としてその手腕を高く評価され 当選した。山中市長は就任にあたって「健康で明るい町づくり」をモットーに、市民の福祉向上と市勢の進展のため、財政難を克服しながら公約の実行に全力を尽くすと市政方針を明らかにした。六月助役に元市建設部長藤田徳一を市議会の同意を得て任命し、山中市政の体制を整えた。
 六五年周南工特地域は図1のように拡大指定され、五月「新産業都市及び工業整備特別地域整備のための国の財政上の特別措置に関する法律」が公布施行され、工特地域の公共事業には二五パーセントを限度として国庫補助の上積みが行われることとなり、関係市町の財政負担が軽減されることとなった。このため、県は七五年度を目標に、周南工特地域整備基本計画を作成して、六五年十二月、政府の承認を得た。下松市事業の主なものは、下松港の整備(第二公共埠頭の建設)、駅裏区画整理事業の推進と下松橋上駅の建設、笠戸大橋の建設、笠戸島の周南レクリエーション地としての開発、旗岡住宅団地(二七ヘクタール)の造成、東部海岸埋立(恋ケ浜沖一二〇ヘクタール)による企業誘致、都市計画街路と下水道の整備等であった。

図1 周南工業整備特別地域図

 当時、市財政は特殊財産特別会計に三億円の累積赤字があり、財政運営は厳しかったが、周南工特地域としての開発を進めるとともに、市民の要請にも応えなければならなかった。
 そこで、山中市長は六五年国土開発協会に委嘱して、「住みよい、豊かなまちづくり」のための調査と提言をもとめた。その報告書は「下松市は小都市としては、施設整備がきわだって進んでおり、中都市と比較しても劣悪な施設は見当たらない。整備レベルの低い施設に、保育所、小学校の不燃化、都市公園があるが、多額の費用を要するから、市民の協力と長期的財政の見通しの下に進めることが必要である」と指摘した。
 そこで山中市長は、七五-八五年代を展望し、「市民のつくる市民のまち」でなければならないと、市民組織と団体を代表する二百数十名で構成する下松市総合建設計画協議会を設置し、広く市民の意見と提案を求め、市民参加の下松市総合建設計画を立案した。六八年二月市議会の議決を得、下松市総合建設計画の策定を完了した。
 この総合建設計画は、六五-七五年代の市政の基本路線であり、市民の協力と関心を高めるため、同年四月「下松市の将来。図でみる四十年代の路線」(表5、達成目標)を発表した。
表5 下松市の達成すべき目標
項 目現 状1975年
1.人口
 (1)総人口47,401人57,000人
 (2)就業人口23,101人28,000人
  第1次人口3,767 2,800 
  第2次人口10,937 13,400 
  第3次人口8,397 11,800 
 (3)昼間人口48,825 60,000人
  流入人口6,003人10,000人
  流出人口4,579人7,000人
2.世帯数12,170世帯16,300世帯
3.基盤整備
 (1)自動車台数2,130台7,500台
  乗用車830 4,500 
  貨物車・その他1,300 3,000 
 (2)トリップ数8,500台/1日30,000台/1日
 (3)自動車台数21,039台24,500台
 (4)道路延長180,473.8m204,574m
  国道15,029 21,369 
  県道48,316 48,316 
  市道117,128.8 134,889 
 (5)幅員5.5m以上46,821.5m73,769m
  国道15,029 21,369 
  県道12,318.7 21,634 
  市道19,473.8 30,766 
 (6)土地利用計画地域 1,150.7ha 1,410ha
  住居地域694.6 940.2 
  商業地域73.4 81.0 
  工業・準工業地域382.7 388.8 
  中心市街地400ha432ha
  整備済地75ha128ha
 (7)電話普及率 1台/3.3世帯 1台/1.5世帯
4.産業振興
 (1)工業出荷額578億円1,500億円
 (2)市民所得25万円/1人66万円/1人
 (3)農道整備延長21,200m58,900m
5.生活環境
 (1)公園整備面積11.58ha69.05ha
  人口1人当り面積2.4m2/1人12.1m2/1人
 (2)住宅12,000戸16,300戸
  持家6,400 9,200 
  借家3,200戸4,450戸
  (公営住宅)(577) (1,527) 
  給与住宅2,000 2,250 
  その他400 400 
 (3)道路舗装88,507.5m (49.0%)191,085m (93.4%)
  国道15,029 (100%)21,369 (100%)
  県道19,217 (39.8%)48,316 (100%)
  市道54,261.5 (46.3%)121,400 (90.0%)
 (4)上水道給水人口30,000人 (63%)53,000 (93%)
  給水量165L/1日/1人240L/1日/1人
 (5)下水道普及率3%24%
  整備面積26.5ha210ha
 (6)し尿水洗化率0%50%
  し尿浄化槽11%3%
  汲み取り69%37%
  自家処分20%10%
 (7)ごみ収集人口32,000 (80%)53,000人(95%)
  収集量0.7kg/1日/1人0.8kg/1日/1人
 (8)一般病床数91床/万人120床/万人
 (9)医師数9.5人/万人12人/万人
6.社会福祉
 (1)保育所定員数420人560人
 (2)児童館定員数150人150人
 (3)児童広場及び遊園11カ所28カ所
 (4)老人ホーム定員数50人150人
7.教育文化
 (1)幼稚園定員数1,140人1,300人
 (2)小学校児童数4,200人4,900人
   〃 学級数120学級138学級
 (3)中学校生徒数2,238人2,305人
   〃 学級数58学級62学級
 (4)小学校舎不燃化率14.3%45.0%
  中学校舎 〃24.4%36.8%
 (5)教材整備(小学校)51.5%80.0%
  〃  (中学校)42.9%80.0%
 (6)備品整備(小学校)60.7%100%
  〃  (中学校)54.7%100%
 (7)高校進学率87.0%92%
 (8)大学進学率 男子21.4%40%
  〃     女子19.2%30%

 同年五月任期満了による市長選挙には、山中市長が下松市総合建設計画の実施を確約し、下松市を「もっと安全に、もっと健康に、もっと便利に、もっと快適に」をスローガンにして当選を果たし、二期目の山中市政が発足した。
 当時日本経済は高度成長期(イザナギ景気)で、五大企業の活況とともに、市民の所得は毎年一〇パーセント程度の伸びをみせ、生活も豊かとなり、マイカーの急増とともに、市民の市政に対する要望も一層多様化し、強まった。これに対し、市行政は保育所の充実、学校の不燃化、道路、下水道の整備等の諸事業を推進してきたため、財政はしだいに硬直化した。