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周南地区の行政の広域化

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 高度経済成長の進展による国民所得の増加は、生活水準を急速に向上させ、世は使い捨て時代となり、廃棄物は急増し、その収集、処理が立ち遅れ、ごみ戦争としてマスコミに取り上げられるようになった。下松市の場合、日量二二・五トンの処理能力をもつ旧式焼却炉(固定炉)を御屋敷山に設置していたが、一九六七年にはごみ量が処理能力を超える日量三〇トンになり、さらに増加の趨勢にあった。そこで、止むなく御屋敷山水源地近くの谷間に、焼却残留物の埋立てを行わざるを得なくなった。しかし、この方法も公害防止と環境保全のために多量の覆土が必要で、数カ年の継続が限度であった。
 ごみ処理対策は、公害防止上最新の優れた施設でなければならず、調査の結果、莫大な建設費と多額な維持管理費を必要とし、人口二〇万人以上の都市が理想的であると判明した。隣接の徳山市・光市においても、同じような状況下にあるため、その対策に苦慮していた。このため六九年六月周南四市連絡協議会(四市助役で構成)において衛生施設問題が取り上げられ、新南陽市を除く徳山・下松・光三市で広域行政による取組みがたびたび審議された。十一月協議が整い、各市議会の議決を得て、自治大臣の認可を得、翌七〇年一月、一部事務組合周南地区衛生施設組合が設立され、組合長に山中下松市長が就任した。
 組合では、ただちに周南地域に適した清掃工場(ゴミ焼却炉)の調査、研究を開始する一方、三市とも火葬場が老朽化し、市民の要望に応えることが困難な状況であったので、まず火葬場に着手することとなり、同年十月御屋敷山の下松火葬場用地を拡張して着工し、七一年五月御屋敷山斎場として竣工した。施設は鉄筋コンクリート造で待合棟、斎場棟、火葬棟(火葬炉六基)からなり、敷地一万平方メートル、建物一一二一平方メートル、当時としては他に比類のない荘厳な施設であった。
 さて、六九年五月、新全国総合開発計画が閣議決定され、広域生活圏を地域開発の基礎単位とする構想が明らかにされ、これに関連して、自治省は広域市町村圏の振興整備構想を発表し、翌年から広域市町村圏整備事業を実施した。山口県では周南地区をはじめ八地区が広域市町村圏として指定を受け、広域行政に取り組むこととなった。
 周南地区は徳山市、下松市、光市、新南陽市、大和町、田布施町、熊毛町、鹿野町の四市四町で構成し、七一年七月設定された。十月には周南地区広域市町村圏振興整備協議会(各市町長で構成)が結成され、ただちに整備計画に着手し、翌年三月周南地区広域市町村圏振興整備計画が完成した。この計画は、関係市町のもつ特性を生かしながら、相互に機能を分担、あるいは補充しあって、広域的、長期的な観点から、諸施策を経済的に有効適切に実施し、圏域住民は等しく整備された都市的環境のなかで、豊かで快適な生活を営むことができる、高度な福祉社会の実現を目的としたものであった。