五〇年下松市に水道事業開始の機運が生じ、その水源として温見ダム建設事業の再開が緊急課題として浮かび上がり、市と耕地整理組合は一体となって山口県に対して、温見ダム建設事業の再開を強力に要請した。その結果、県の重点事業として採択され、県とともに国に対して事業承認の運動を展開することとなった。事業計画の早期承認は困難視されていたが、衆議院議員佐藤栄作の支持を得て、ついに農林省は五一年九月、山口県営下松・徳山連合用水改良事業の再開を承認するに至った。ここに水資源開発による農業生産の充実と下松市の飛躍を期した大事業が県・市・耕地整理組合によって推進されることとなった。事業主体である耕地整理組合は同年十二月の総会で下松、徳山連合土地改良区への組織変更と温見ダム事業を承認した。続いて翌年二月知事の事業認可を得た。
温見ダム事業は、土地改良区と下松市の間で用水配分量、事業費の負担割合、反別受益者負担を定め、施工は特殊県営灌漑排水事業として、五二年度から三カ年継続事業として行うこととした。初年度には実施設計、用地買収(一〇〇町歩)、物件補償を行い、地権者(三〇戸、神社一、寺院一)の協力によって、事業は順調に進行し、五三年二月ダム堰提工事に着工した。
事業は計画どおりの完成を目標に、国庫補助の獲得に県・市・改良区一体となって努力を払い、また工事関係者の熱意によって、五五年十二月(表22)の規模の温見ダムが完成した。続いて高垣取水口、導水路、花岡分水工、幹線水路等の諸工事が進められ、土地改良区の施工する末端水路工事も急ピッチで進み、五七年三月には事業の大半が完成をした(図3)。工事費は表23のとおり、総額八億一七一一万円に達した。こうして、下松市の一〇〇〇町歩余の水田が旱(かん)害を免れ、年米五〇〇〇石の増収が期待されるとともに一般水道用水と工業用水が確保され、将来の展望が開けることとなった。
表22 温見堰堤(ダム) |
1 貯水量 | |
総貯水量 | 4,520,000m3 |
有効貯水量 | 4,393,000m3 |
2 計画放流量 最大 2.745m3/秒 | |
3 工期 | |
着工 | 1940年6月 |
工事中止 | 1944年4月 |
工事再開 | 1951年9月 |
完工 | 1955年12月 |
4 施設の概要 | |
型式 | コンクリート重力式 |
堤長 | 135m |
堤高 | 36m |
堤体積 | 53,367m3 (付属設備を含む) |
堰堤標高 | 273.80m |
余水吐構造 | テンゲート高さ 4.50m 2門 幅 7.00m |
取水設備 | 取水孔 口径 800mm 3 口径 1,000mm 1 |
管理事務所 | 鉄筋コンクリート 8m×5.5m 3階建1棟 |
図3 用水改良事業温見ダム受益並びに集水地域図
表23 温見ダム工事費 |
(単位:円) |
工事名 | 延長 (M) | 農業用 (金額) | 水道用 (金額) | 合計 (金額) |
温見ダム工事 | 328,322,862 | 171,635,000 | 499,957,862 | |
頭首工工事 | 6,745,837 | 8,943,000 | 15,688,837 | |
幹線導水路 | 1,522.39 | 32,633,007 | 43,257,000 | 75,890,007 |
東幹線水路 | 3,207.33 | 19,608,257 | 69,777,000 | 89,385,257 |
A区間(花岡分水工~久保) | 644.97 | 4,662,164 | 13,297,000 | 17,959,164 |
B区間(久保分水工~生野屋) | 1,323.95 | 8,793,742 | 30,996,000 | 39,789,742 |
C区間(生野屋~藤光分水工) | 706.65 | 4,051,886 | 15,051,000 | 19,102,886 |
D区間(藤光分水工~東光寺分水工) | 511.76 | 2,100,465 | 10,433,000 | 12,533,465 |
花岡幹線水路及び西幹線水路の一部 | 3,877.00 | 69,085,000 | ― | 69,085,000 |
事務費 | 38,168,650 | 28,935,000 | 67,103,650 | |
合 計 | 494,563,613 | 322,547,000 | 817,110,613 |