このように温見ダム事業は、市民期待のうちに順調に進捗していたが、事業主体である土地改良区内に思わぬ事件が発生した。それは土地改良区が受益農家に賦課金(水田一反につき五斗五升)の納入を求めたが、納入状況が極端に悪く、農林中央金庫が五五年、土地改良区事業費負担金の融資を中止したことである。このことは温見ダム事業の残余工事が頓挫するのみでなく、事業全体に影響を及ぼす大問題となった。
そこで、土地改良区では、市と協議して市職員の応援を得、徴収態勢を整え、督促書の送付、各戸訪問による説得徴収等、強力に賦課金の徴収を開始した。ところが、当時は農地改革がほぼ完了したばかりで、農地は細分化されて農地所有者が増加し、また民主化の嵐で団結心が強く、受益農民は、温見ダム事業と受益負担金の末端農民への説明が不足しているとして、農民協議会を組織して不納付運動を展開した。五六年十一月には団体行動を起こし、五斗五升の賦課金軽減を市長に嘆願するに至った。このため土地改良区の総代はつぎつぎに辞職し、マスコミに五斗五升問題として大きく取り上げられた。
この五斗五升問題の紛争を解決するため、市・土地改良区、農民協議会の間でしばしば協議したが話し合いがつかず、一年半後の五八年六月知事の斡旋で下松市と土地改良区との間に「県営下松・徳山連合土地改良事業に関する協定」が締結され、ようやく政治的解決が図られることとなった。この協定の主な内容はつぎのとおりである。
(一) 五七年度までの県営工事、土地改良区営水路工事の地元負担金全額(農林中央金庫借入金)を市が負担する。
(二) 将来農地の減少その他で余剰水が生じたとき、水利権の変更は、知事が市・土地改良区双方の意見を聞いて決定する。
(三) 五八年度以降の県営土地改良事業の土地改良区負担金は、全額を受益農民が負担する。
(四) 土地改良区経常費は、すべて土地改良区構成員(組合員)の負担とし、このため市職員二名を出向させる。
(五) 温見ダム事業の残余工事を一期、二期工事に分け、一期工事については五八年度から五カ年で実施、二期工事は後年施工時期を決定する。
この協定によって温見ダム事業の農民負担金を全額市が肩代わり返済するということは、財政再建下の市財政には余力がなく、また水道会計も温見ダム事業費の上昇で、当初計画一億二五〇〇万円が三億二二五五万円と莫大な負担となって会計を圧迫している現状から、市議会の異議は強いものがあった。しかし石井市長は、下松市百年の大計のためには、温見ダム事業を放置することはできないとして、市議会の説得に努め、水利権取得という形式をとり、ようやく可決にこぎつけた。
ここに紛糾した五斗五升問題は、水道会計に一億四七〇〇万円という負担を与えて決着し、農林中央金庫からの融資が再開され、協定に基づいて五八年度から工事は再出発した。六〇年度に協定の一期工事が完了し、温見ダム事業は一応の竣工をみることとなった。
温見ダム事業は、事業の完成と同時に管理を土地改良区が行うことになっていたが、農民負担金を全額市が負担したことや管理技術の問題等があって、県が管理を継続することにした。六三年三月知事を立会人として、下松市長と土地改良区理事長との間に、農業用水の余剰水を工業用水として利用するなどの諸懸案事項が合意され、温見ダムの管理を市水道部が行うこととなった。