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第二次・三次拡張事業

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 事業の拡大によって借入資本金が増加し、その償還が水道会計を圧迫し、償還繰延べによって当座を乗り切る事態(累積赤字三億五七五三万円)となった。この赤字解消のため、事業合理化に努めたが、自主再建は困難と判明し、公営企業財政再建法の適用を受けることとして、自治省と事前の協議に入った。その際、正式な水利権の取得なしに工業用水を給水し、水道料金を計上する再建計画の不合理さを指摘された。
 そこで水道局と土地改良区との間で、水利権変更について協議が重ねられ、六七年九月、土地改良区は水道会計の再建と下松市発展のために譲歩して、水利権変更(表24)に同意した。これによって翌年七月公営企業財政再建法が適用されることになった。
表24 水利権の変更(1968年12月16日認可)
農業用水灌漑面積水道用水工業用水
変更前1日 243,475m31,463.9ha1日 28,800m31日  m3
変更後146,706 800 39,744 45,000 

 水道局では財政再建計画に基づき組織を縮小(次長制廃止、四課を三課に減)し、職員を大幅に削減(五九人を四〇人)するとともに、給与・物件費の抑制等経営の合理化に努め、国の財政援助のもとに財政再建を開始した。
 一方、同年水資源利用効率を高めるため工業用水調整池(調整量六〇〇〇立方メートル、工費一億円)を御屋敷山に築造して資源の無駄を省いた。
 当年夏から翌年の夏まで大旱魃に見舞われ、温見ダムは湖底を見せた。このため、休止中の開作水源池の運転、切戸川流水の揚水等、水道水の確保対策(一〇〇〇万円)を行い、断水事態を回避した。六九年これまで据え置いていた水道料金を、物価上昇にあわせ、六〇パーセントの引き上げを行った。この結果、水道財政は急速に好転し、再建計画を一年短縮して、七二年度(表25)で完了した。
表25 不良債務解消の状況
(単位:千円)
  年度


区分
指定日の属する年度の前年度1966年度 (指定日の属する年度)1967年度68年度69年度70年度71年度72年度73年度
当初計画 △22,4569,32910,21032,35043,95345,47848,87727,353
現在計画 △20,05210,41710,40840,43156,20160,28037,4090
実績 △20,05210,41710,40840,43156,20160,28037,4090
不良債務195,094215,146204,729194,321153,89097,68937,40900

 この間、七〇年九月に笠戸大橋が完工し、また久保地区に住宅団地造成が進み、島部・久保地区住民からの水道敷設要望が強まり、給水区域の拡張が急務となった。そのうえ現給水区域の水需用の増加が著しく、これらに対処するため、財政再建期間中であったが、六九年七月、第二期拡張事業計画(給水人口五万三〇〇〇人、給水量一日六万立方メートル、竣工七三年度、事業費五億九三〇五万円)を立案し、国の認可を得て事業の開始に踏み切った。この拡張によって、市内(米川地区を除く)のほとんどを給水区域とする水道事業に成長した。
 このころは日本経済の高度成長期であり、下松市も四大企業を中心に設備の近代化、拡充が強力に行われ、水の需要は急速に高まって水資源の開発が緊急課題となったので、県に開発を強く要請することとなった。県も周南地区発展のため、末武川総合開発を計画するに至った。
 水道局ではこの計画にそい、七四年三月第二次拡張計画が完了すると、ただちに第三次拡張事業計画(給水人口七万九〇〇〇人、給水量一日八万二〇〇〇立方メートル、竣工七九年度、事業費一三六億六〇〇〇万円)を進め、国の認可を受け、四月拡張事業に着手した。
 しかし、七三年の石油ショック後、日本経済は一転して安定成長に移行し、恋ケ浜臨海工業用地に建設が決定していた製油所が着工不明確となるほか、各企業は設備投資を抑制するに至り、市勢も躍進から安定的な発展へと移行した。そのため、水需要も緩やかな伸びに転じ、第三次拡張計画事業は二度計画変更して、九五年度を完成目標年次として事業を進めている。