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すすむ下水道網

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 伝染病発生率が県内で比較的高かった市から、近代工業文化都市への脱皮を政治目標としている石井市長は、上水道にあわせ、下水道整備の急務を痛感していた。このため、六・三制教育施設の整備、市庁舎の建設、上水道の敷設等財政的に多難なときであったが、万難を排して下水道を計画、整備したいと、上水道着工後ただちに水道協会の協力を得て調査・研究を開始した。
 五二年七月計画案ができ上り、市議会の議決を得て、国に認可申請の手続きをとった。計画は表28のとおりで、地勢や現状の排水状況を考慮して、全計画区域を第一、第二、第三、第四、第五の五排水区に大別し、人口密度、工事の緩急順序等将来を考慮して、さらに分区に分けている。
表28 下水道計画の大要
排水区分 区排水
面積
有効
面積
人口
密度
将来推定
人口
摘 要
hahaha:人
第一排水区148,75046,40030014,820第二期計画、恋ケ浜地区
第二排水区第1分区37,23123,2823006,985第一期計画 下松市街地区
第2分区63,66929,4583008,846  〃     〃
第3分区69,20040,80030012,240  〃     〃
 計170,10093,54030028,071  〃     〃
第三排水区148,25089,0001008,900第三期計画 切戸川―平田川間地区
第四排水区92,20055,30020011,060第四期計画 花岡地区
第五排水区310,000186,00010018,600第五期計画 末武地区
合 計869,300473,24081,451
1957年都市計画法の改正により翌58年1月24日都市計画決定及び事業認可。
排水区を恋ケ浜処理分区(第一排水区)、下松処理分区(第二排水区)、中部処理分区(第三排水区)、花岡処理分区(第四排水区)、末武処理分区(第五排水区)に変更

 翌年三月第二排水区(市街地地区)を第一工区(事業費三億四八〇〇万円、一五カ年継続事業)とした下水道築造事業が認可され、工事を開始した。五四年三月都町、二軒屋間(一三四メートル)の下水道幹線が完成し、下水道事業の一歩を踏み出した。しかし、インフレによる事業費の高騰、税制改革による市財政の窮迫(第一次財政再建)等のため、事業は計画どおり進捗せず、ようやく六四年四月新崎ポンプ場(現在東洋鋼鈑内)が完成し、下水(糞尿を除く下水)排除をはじめた。その後も下松処理分区の事業が継続施工され、当初計画より一〇年遅れ、七七年ほぼ完成した。
 その間駅北区画整理の完成、旗岡団地の造成等急速な市街地の発展と、生活水準の向上による生活環境の整備(水洗化)の要望が高まり、また公共水域の水質保全という新たな問題が生じ、終末処理場の建設が緊急の課題となった。このため、七二年三月新川専売工場跡地二、七ヘクタールを建設用地として取得し、九月終末処理場の建設に着工した。
 着工後間もなくオイルショックによる建設費の高騰に直面し、また瀬戸内海環境保全臨時措置法の制定による高級処理施設への計画変更等で事業の進捗に大きな影響を及ぼしたが、七八年四月待望の終末処理場(下松市浄化センター)一系列が完成し、下松処理分区の供用を開始した。引き続き二系列目の整備を進め、八〇年度をもって、高度な汚水処理施設である下松市浄化センターが完成した。七七年十月久保団地の造成に伴い、都市計画決定の変更を行い、久保処理分区を新たに加え、また徳山湾流域別下水道整備計画との整合を図るため全体計画の見直しを行い、下水道整備計画認可区域を八九五・八二一ヘクタールに拡張した。同年中部処理分区、久保処理分区の事業に着工、八三年排水処理を開始した。
 現在も末武処理分区を始め事業の促進に努めており、整備状況は表29のとおりで全国平均並みの進捗となっている。八七年度までの事業費は、管渠事業六六億円、処理場事業五七億円、計一二三億円である。
表29 下松市公共下水道整備状況
項  目198283848586
行政区域内人口(人)55,54455,68355,53655,49754,664
排水区域面積(ha)347391434470498
処理区域面積(ha)347391414419497
処理区域内人口(人)19,70020,46721,72422,10124,879
処理区域内戸数(戸)5,7166,3176,7056,8877,788
水洗化人口(人)16,56017,36618,70120,07120,966
水洗化戸数(戸)4,8015,3625,7726,2316,516
人口普及率(%)35.536.839.139.845.5
水洗化率(%)84.084.586.190.884.3