ビューア該当ページ

米の需給関係の変化

911 ~ 914 / 1124ページ
 四九年には、化学肥料等の農業生産資材も出回り、野菜等の生鮮食料は大増産となり、厳しかった統制も米麦を除いて撤廃された。市は、農業経営の多角化と市民の消費需要に応えるため、五一年蔬菜(そさい)市場(青果物協同組合経営)の拡充・強化を計画したが、同年、下松農業協同組合が野菜市場を開始して、二市場の併設となった。市は統合を図ったが、協力が得られず、経済農政は方向転換を迫られることとなった。
 その後も生鮮食料品は増産を続け、価格は低迷し、五三年政府は「農産物価格安定法」を公布施行して、農業経営安定のための価格維持策を採用した。このように農業生産力は急激に上昇し、米を除いて需給のバランスがとれるに至った。
 その後五五年産米は、戦後毎年のように発生していた風水害もなく、史上空前の大豊作となった。これを契機に戦時中から一五年間続いた供出割当制度は廃止され、政府への予約売渡制度へと転換した。同時に政府は、食糧管理会計の赤字を少なくするため、米価は物価スライドとするが、麦価は輸入外麦との価格差を少なくするため価格の抑制策をとった。このため末武平野の麦生産は大打撃を受け、麦耕作は激減した。
 一方、日本経済は高度成長期を迎え、一次産業と二次・三次産業との格差が増大し、農業の近代化が強く求められることとなり、五九年政府は米・麦中心の農政から、総合農政へと方向を転換するに至った。下松市ではただちに農・漁業の実態調査を行い、下松市農村・漁村振興協議会を設置して、都市近郊農業としての農政を、策定中の下松市新生計画に盛り込むこととした。
 国は、今後の日本農業のあり方として六一年三月「農業基本法」を制定した。この法律は他産業との所得格差是正のため、需要のある農産物の生産、農業の生産性の向上、農業規模の拡大、農地の集団化、農業経営の近代化など、農業構造改善の方策をとることを強調した。しかし、国の意図に反して、年ごとに農業と他産業との生産性と所得格差が拡大し、離農者が漸増するようになった。
 下松市の農業は表3のように戸別耕作面積が少なく、市の工業発展とともに農家の兼業化が進み、また宅地需要の増加によって、下松・末武地区の農地価格が急騰して、宅地転用が多く、農業は零細化して飯米農家が多くなった。また、米川地区は山間部で農地が少なく、農業構造の改善が困難なため、他産業への就職が容易な交通便利な地域への転出が出始めた。
表3-1 年次別農家数及び経営耕地面積
(農林業センサス)
年 次農家数
   (戸)
実 数 (ha) 1農家当り (ha)
総 数
(その他)
総 数
1950年3,1591,521.21,279.9241.348.240.57.6
552,9691,466.61,249.7216.949.442.17.3
603,0481,482.31,233.1249.448.640.58.1
652,7791,299.61,103.9195.745.639.26.4
702,5881,136.4964.4172.043.937.36.6
752,233823.8688.8135.036.930.86.1
802,095707.8603.9103.933.828.85.0
851,995662.5574.687.933.228.84.4

表3-2 専・兼業農家数
(単位:戸、%)
年 度農家数専 業第一種兼業第二種兼業
戸 数構成比戸 数構成・戸 数構成比
1950年3,15986127.393129.51,36743.2
552,26984328.474225.01,38446.6
603,05247015.486528.31,71756.3
652,7792167.849117.72,07274.5
702,5881877.227310.52,12882.3
752,2331617.21506.71,92286.1
802,09522310.61245.91,74883.5
851,99529514.9572.81,64332.3

 そこで政府は毎年物価スライドにより米価の引き上げを行い、他産業所得との格差の是正に努めた。これによって、農家にとって安易で有利な米作偏重の傾向が一層強まることとなった。そうした中で六七年産米は一四四〇万トンという大豊作となり、以後も豊作続きとなったが、米の需要は六二年の一三四一万トンをピークに年々減少して一二〇〇万トン程度となり、米の需給バランスは大きく崩れ、古米在庫は累増して、七〇年には一年分の政府売却量に近い七二〇万トンに達した。