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都濃肥牛の飼育

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 一九四七年総合立市計画の重点施策として農業の再建が取り上げられ、有畜農業による農業の多角経営を図るとともに、市民の蛋白源供給のため、従来の牛・馬に加え乳用牛・山羊・豚・鶏等の飼育を奨励した。その結果、花岡養鶏組合の設立等もあり、五二年には表5のように各種家畜の頭羽数が増加した。
表5 家畜種類別飼育戸数及び頭羽数
年次肉用牛(和牛)乳用牛肥育乳用牛山羊
戸数頭数戸数頭数戸数頭数戸数頭数戸数頭数戸数頭数戸数頭数
1949年1,412481041141948,707
521,4081,43776974448281241361522,45024,000
571,561956827158
601,3741,652761274848131362132451,34214,729
639071,136481413131226362352461,14019,411
656036473912027271455165681,36323,063
6822524867129271164416820556920,599
73202246298022102337610303230323,786
753710112103979112901215708,320
80359311534502760131717710,870
8531411672447180781059,790

 市では農林課に獣医二名を配置し、市内六農業協同組合、山口県経済農業協同組合(以下、経済連)とも連携して、優秀種肉牛、乳牛、山羊の導入を行い、また優秀子牛を導入して農家への貸付事業を行うなどの振興策を展開した。さらに都濃肥牛の伝統を復活させるため、県経済連合会所属技師の指導、品評会等も実施した。
 当時家畜市場は花岡西村、下松柳(現市民会館)の二カ所にあったが旧式で小規模のため、家畜センターとしての家畜市場建設の要望が各農業協同組合を中心に強まった。そのため市では五三年四月、農林中央金庫から建設資金一四〇万円の融資を得、末武農業協同組合に建設を委託した。同農協ではただちに楠木町(市道中央線北側)に六〇〇坪の土地を取得、同年七月建設事業を終え、市に引渡しを行った。こうして近代的な下松市家畜市場が開設した。新市場の運営は県経済連が当たり、センターとして家畜の飼育指導、健康管理指導、体重測定等を実施したほか、毎月数回せり市場を開設した。また春秋二回品評会を開催して優良牛の表彰を行った。
 そのころから、自動車、耕耘機が普及し始め、運送用の馬匹は激減し、耕作用の役牛も減ったが、肉用肥牛(黒毛和牛)の飼育は増加し、六〇年には一六五二頭に達した。特に優秀肥牛を育てることは農家の自慢であり、採算も成り立った。
 しかし、この都濃肥牛飼育は、子牛を広島県(比婆牛)、島根県(石州牛)の生産地から導入して肥牛として育成する方法をとっていたため、子牛価格の値上がりに対して育成肥牛価格の低迷という問題が発生すると、採算割れを生じた。そのうえ、住宅の増加、生活環境保全等で飼育が困難になり、しだいに飼育頭数が減少した。これに伴って下松家畜市場の運営は難しくなり、七二年都濃郡内を統合した新家畜市場が新南陽市に建設され、下松家畜市場は廃止となった。
 このほか、乳用牛・豚・鶏等も六五年を境に、肥牛飼育と同様の理由でしだいに減少し、八五年には、養鶏の一万羽(一〇五戸)を除けば、大家畜は三十数戸の農家で飼育されるに過ぎなくなった。