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下松市農協の発展

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 戦時中、農業団体の統制と食糧増産・供出のために、市内各地区の産業組合と下松市農会を統合して成立した下松市農業会は、戦後の一九四七年十一月農業協同組合法の施行により、翌年八月解散した。同時に農民による民主的農業団体として、久保・花岡・下松・末武・香力・笠戸・深浦の七農業協同組合が発足して、農家の社会的、経済的な向上と営農技術の向上に貢献することとなった。五四年米川村の合併により、市内の農協は八農協時代となった。
 しかし、下松市が工業都市として躍進するなかで、小規模な市内の農業はしだいに立ち遅れ、農家の兼業化は進み、農家経済は他産業に依存するようになった。また農協も小規模農協が分立し、下松市における消費市場の需要に適時適切な対応を示すことができなかった。下松市の農業を多角経営化、近代化して農業の振興を図るためには、その母体となる農業協同組合が組合員の金融機関、肥料等の生産資材の販売所、米・麦の政府委託集荷機関から脱皮することがきわめて重要であった。こうした状況のなかで、市内八農協の大同団結が叫ばれるようになった。
 六三年、市、県経済連等の仲介で市内八農協が農協合併推進協議会を結成し、時代の趨勢として得失を捨て合併を決意、六五年七月、下松市農業協同組合が誕生した。新農協は、本所を下松駅北の旧下松農協とし、これまでの各農協を支所として農協事業を開始した(表6)。その結果、農協事業(指導事業・信用事業・購買事業)は年々発展拡充し、本所が手狭となり、新たに西柳に九八八七平方メートルの土地を買収して、八〇年五月、機能的な鉄筋コンクリート造り三階建ての新本所を建設、移転した。
表6 農協の状況
(単位:戸、人、千円)
年 度農協名組合員戸数職員数購買事業販売事業出資金
1960総 数3,20174112,326152,55817,662
下 松31098,00136,3921,910
末 武4011112,92925,6432,639
香 力31946,7516,0811,172
花 岡6871729,55636,2013,768
久 保8372035,55629,6374,608
笠 戸13132,366504
深 浦19533,0731,473567
米 川321714,05017,1312,494
64総 数3,06282105,234178,93519,662
下 松317107,76548,2961,911
末 武3441313,45729,2624,553
香 力26255,554204987
花 岡6651728,65338,8904,963
久 保8032228,80936,2324,765
笠 戸13422,088573
深 浦18843,0121,496756
米 川349915,89624,5651,174

1965年7月1日市内8農協合併下松市農業協同組合
65下松市農協3,04189135,112235,26454,468
703,251166179,674335,04977,283
753,618113369,132520,733108,924
803,76897475,354416,030172,967
843,81782561,056441,196230,889

 わが国の農業が、米の過剰による稲作転作、米価据置きという問題に加え、貿易摩擦の影響による農産物の輸入拡大、自由化という難問に直面しているとき、農業経営の母体である農協の役割はますます重大となってきた。