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造林事業

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 戦後、下松市は国有林五八○町、県有林六〇町、市有林一一八九町、民有林一六六五町、合計三四九四町の広大な林野面積を有していた。しかし、戦時中の過伐によって伐採適齢林はわずかに全山林の六パーセント、二〇〇町歩に過ぎなくなり、表7のように林業は僅少な木材と薪、木炭を生産する程度となった。
表7 林産物の生産状況
年度木材生産高木炭 備考
用材杭木パルプ
1948年3,50080,0005,000
52〃1,6008,0006,00015,60070,0001,500
58〃24,7002,7002,10029,50049,70018,000米川を含む

 国は荒廃した山林を再生させるため、植林を奨励し、一九四九年水源造成事業、せき悪林地改良事業を県事業として開始した。翌年「造林臨時法」が公布された。これによって市内の山林植栽は毎年一〇〇町歩程度に及び人工林の造成が進捗した。
 この間、開拓地として一八九町(大島半島の一三〇町を徳山市へ編入、五九町はのち、開拓放棄によって、国は民有山林として売却)の市有林を国が買収して、山林面積三三〇五町となったが、五四年、米川村の合併で五二六七ヘクタールとなった。六〇年代になると、下松市内の山林植栽は表8のように松を中心に進み、林業は将来刮目すべきもののようにみえた。ところが突如として沿岸部より松くい虫の被害が現れ、松林に大被害を与え、七三年から殺虫剤の空中散布を開始するなど、対策を講じたが、島部を始め沿岸部の伐採適齢期の松は全滅の状況となった。このことは赤松を主体とした下松市林業に大打撃を与えた。その結果、杉・桧への植替え植林が急に増加することとなった。
表8 所有別林野面積
(単位:ha)
所有者別国有林県林業
公社
合計
年次
1957年度5231581,4493,2395,367
605221561,5333,3175,528
655221381,3173,3985,375
704471341,3903,6185,589
7552218551,4383,4945,527
8056821731,3343,4485,444
8251821731,3343,4485,394

 下松市の山林の六〇パーセントを占める三四〇〇ヘクタールは民有林であるが、全部小規模経営で、農家の副業として、また蓄材が資産として、高い地位を占め、植林、管理作業が旺盛であった。しかし、七五年ごろから輸入外材に押されて木材価格は低迷して、採算のとれる見込みがなくなり、そのうえ経営者が高齢化して、荒れる山林も散見されるようになった。また、下松市山林の三〇パーセント一四〇〇ヘクタールを所有する市は、資産、財源(米川・久保・下松林野)として、特別会計を設置して管理してきたが、市財政の財源として大きな期待はできなくなり、自然環境保全のための市有林としての存在が大きくなりつつある。