この経済停滞期が始まった四九年五月に工場閉鎖を指令されていた日本石油下松製油所に、石油輸入基地の指定があり、続いて七月GHQから太平洋岸製油所再開準備指令が発令され、九月製油所操業再開が許可された。このことは日本石油下松製油所関係者のみならず、下松市にとっても一大朗報であった。復旧作業と並行して、装置の新設拡充を進め、五〇年二月製油作業を再開した。五一年十月、さらに日本石油とカルテックスが提携し、日本石油精製下松製油所として近代的設備による生産が始められ、五二年度には原油処理量四〇万キロリットルに達した。
五〇年六月、朝鮮戦争が起き、その特需によって日本経済は急速に成長し、下松市の工業も四大工場を中心に、表14のように工業生産高が伸張し、設備の近代化投資も開始された。しかし、このように順調に展開していた工業も、間もなく特需がなくなり、景気に陰りが現れた。特に造船界の不況は厳しく、そのあおりで笠戸船渠は五四年七月工場閉鎖の止むなきに至った。市、工場関係者で工場再開に向かって努力が続けられている中、日本の景気はしだいに回復し、造船業界も活況となり、五六年、笠戸船渠は操業を再開した。その後、宇部興産の系列造船所となり、工場の近代化が図られ、中型造船所として急速に発展することとなった。
表14 製造工業生産力一覧表(1951年度) |
分 類 | 工場数 | 従業員数 | 生産額 |
人 | 千円 | ||
機械器具 | 12 | 4,510 | 2,689,384 |
金 属 | 5 | 1,601 | 1,617,282 |
化 学 | 7 | 736 | 1,347,561 |
窯 業 | 3 | 25 | 1,940 |
食料品 | 23 | 210 | 52,340 |
その他 | 51 | 428 | 310,032 |
合 計 | 101 | 7,510 | 6,018,539 |