ビューア該当ページ

工業の構造の転換

932 ~ 934 / 1124ページ
 下松市の工業は四大工場を中心にいち早く復興し、笠戸船渠の一時工場閉鎖はあったが、各工場ともほぼ順調に生産の拡充、工場設備の拡張、近代化を進めており、関連中小工場も次々に設立され、五六年にはいわゆる神武景気を迎え、下松の製造工業は活況となり、表15のように工場数一三八、従業員数七〇三七人、生産額一九九億余円に達した。
表15 下松市主要工場生産力一覧表(1956年)
工 場 名従業者数生産額主なる生産品
千円
(機械器具製造業)3,8244,565,619
株式会社日立製作所笠戸工場2,9523,731,820機関車、客貨車、電車
笠戸船渠株式会社笠戸造船所734784,700鋼船修理
奥山鉄工所379,047機関車、客車部品
河村鉄工所3623,503 〃    〃
株式会社下松工作所173,502木工機械
有限会社共同海運造船所155,325木造貨物船修理
中豊井鉄工所133,210製材機械
黒磯製作所121,804機関車部品
二の宮鋳造所82,708電車客車部品
(金属製品製造業)1,4786,662,354
東洋鋼鈑株式会社下松工場1,3006,490,486ブリキ
兵庫ボルト株式会社67115,130ボルト、ナット
丸信工業株式会社1710,253ボルト、リベット
大喜多機械株式会社112,996座金外
三友鋳造株式会社2013,867銑鉄鋳物
有限会社藤村鉄工所102,489剃刀柄、帯金
中原工業所外10工場5327,133
(化学工場)7828,131,266
日本石油精製株式会社下松製油所6357,978,973石油製品
山橋工業株式会社4758,906ピッチ、タール軽油
徳山酸素工業株式会社3540,575圧縮酸素
山陽アセチレン株式会社2528,685アセチレンガス
日本油化工業株式会社206,125ワックス、ピッチ
クツワ硫鉄製造所118,492硫酸鉄
日宝化学株式会社99,510石油蝋、ピッチ
(窯業、土石製品製造業)7429,007
徳山化成板工業株式会社2812,600木毛セメント不燃板
合資会社土本石灰工業所147,609石炭
兼安石灰工業所134,924
黒木工業所外6工場193,874
(木材、木製品製造業)209173,530
東洋木材工業株式会社6856,122木箱、仕組板
マルカ木材株式会社2124,085荷造用仕組板
末石木材商会3214,580製材
竹尾製材所1611,387
株式会社谷口材木店下松工場1229,147
株式会社下瀬材木所119,194
大坪産業株式会社106,671
日柳製作所外9工場3922,344
(食料品製造業)452272,062
下松塩業組合14011,154
株式会社木下製パン下松支店4440,500パン
武寿製パン有限会社外49工場268220,408
(家具、装備品製造業)7123,775
佐島工業株式会社133,255家具
角谷木工有限会社126,304建具
中村家具製作所102,455家具
弘中木工所外8工場3611,761
(その他の製造業)
防長燃料工業所外12工場14747,696
総  計   1387,03719,905,309

 続いて日本経済は高度成長期(岩戸景気)となり、池田内閣の積極経済政策(所得倍増計画)、また周南工業整備特別地域の指定等、好景気は長期化したが、企業間競争も激しく、市内各企業はこれに打ち勝って行くため、生産設備の近代化、合理化に莫大な設備投資を行い、また経営、労働両面にも徹底的な合理化を行って、製品の量産化と品質の向上均一化、生産経費の引下げを図るとともに、新製品の開発にも努力を注いだ。その結果、下松の工業は四大工場を中心に、表16・表17のように極めて順調に発展拡大した。
表16 企業整備状況(1955~75年)
企業名年 度整備状況
日立製作所(株)笠戸工場57 ~ 58工具工場(2,560m2)完成、化学装置日立工場から移管
61 ~ 622tキュポラ完成
車輌ぎ装工場 (1,850m2) 完成、800tフリクションプレス稼働
68原料工場 (2,412m2) 、機械工場 (1,467m2) 完成
71 ~ 74恋ケ浜臨海工業用地 (282,203m2) 取得
東洋鋼鈑(株)下松工場56 ~ 605基連続圧延機、連続酸洗ライン外整備79億円
30万トン生産 / 年確立
63ハイトップ、ビニトップ生産ライン完成
67シルバートップ生産ライン完成
69 ~ 755基連続圧延機 (No.2) 連続酸洗、連続焼鈍外海面埋立20万m2 投資額241億6,000万円 生産94万トン / 年
日本石油精製(株)下松製油所55近代化工事 (二段原油蒸留装置、LPG回収装置外) 完成 (10,000バーレル / 日)
56第2二段原油蒸留装置完成 (16,500バーレル / 日)
58プラットフォーミング装置改造完成 (1,650バーレル / 日)
64灯、軽油水添脱硫装置完成 (3,500バーレル / 日)
71 ~ 74恋ケ浜臨海工業用地取得 (939,833m2)
新製油所建設決定 (20万バーレル / 日)
笠戸船渠(株)
625万トンドック完成
71 ~ 729万トン大型建造ドック完成
中国電力(株)下松火力発電所62 ~ 64火力発電所1号機完成 (150,000KW / H)
71 ~ 732号機完成 (400,000KW / H)

表17 工業の推移
年次事業所数従業者数製造品出荷額
(人)(万円)
1957年1347,4522,090,819
60   1378,6603,816,116
61   13810,3584,785,136
62   14111,1155,022,818
63   16011,5145,920,020
64   15411,5826,108,063
65   16210,4705,785,148
66   18210,5105,960,731
67   17110,8927,739,624
68   17011,3048,932,781
69   18311,4909,133,616
70   17911,30310,621,543
71   17711,22811,098,799
72   17310,90212,096,492
73   17911,67914,693,770
74   18111,43421,662,399
75   17810,91821,687,157

 七三年石油危機を契機に世界の経済は同時不況となり、高度経済成長を続けた日本経済も戦後初めてマイナス成長となった。企業は生き残り策として、品質と生産効率の向上、経営合理化を強力に推進した。このことは、日本製品の品質、価格面での国際競争力をますます強め、輸出は増大して、日本経済は再び成長を続け、しだいに世界の経済をリードすることとなった。その結果円高は進み、貿易摩擦も深刻化して、日本の産業経営は困難な時代を迎えることとなった。特に素材型工業は、アジア諸国の工業化による追上げもあり、往年ほどの発展の勢いはなくなった。
 四大工場に支えられて発展を続けた下松市の工業も、素材型・重厚長大型のため打撃が大きく、近年軒並み激しい生産の落ち込みを示し、相次ぐ大規模な雇用調整が行われ、特に造船は企業の存立にかかわるきわめて厳しい状況となっている。今後、大企業を中心とした企業努力による主要業種の盛り返しと、中堅企業の育成、業種構造の多様化などによる柔軟で足腰の強い工業構造への転換が強く求められている。