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臨海工業用地の造成

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 恋ケ浜海岸一帯は、一九六二年、通産省から、工場適地として指定され、また、翌年七月、周南工業整備特別地域整備計画の工業用地としてとりあげられた。しかし、恋ケ浜海岸の西側には、日立製作所笠戸工場と日本石油精製下松製油所が立地しており、水際線利用の問題もあって、他企業の立地には困難が伴い、両企業の工場拡張が期待されていた。七〇年山中市長は基盤である工業の機能を拡大し、将来における市財政の基礎を強固にし、市勢の発展と市民福祉を増進するため、これまで単なる構想の域を出なかったこの埋立計画を、具体化しようとして日立製作所、日本石油精製の両社に進出希望の打診を行った。両社からただちに用地の取得希望と事業促進について申し出があり、特に日本石油精製の進出は下松市多年の懸案である市の中央部に位置する末武貯油所の新工業用地への移転も可能とみられた。
 そこで市は同年四月から基礎調査(埋立地の地盤調査、環境に及ぼす影響調査、気象、潮流調査、模型実験等)を開始し、九月事業可能の見通しを得て、市議会に埋立事業の概要と市事業として施工することを発表した。市は公有水面埋立免許のための諸業務を精力的に進め、免許が確実となったので、同年十二月埋立事業局を設置して、恋ケ浜臨海工業用地埋立事業を開始した。市議会も埋立事業調査特別委員会を設置して調査を始め、また恋ケ浜地区など利害関係者との調整に当たった。
 翌年五月山口県知事から埋立免許があり、翌月埋立面積一三五万平方メートル、事業費七九億円という大埋立工事(図1)に着工した。同日日立製作所(二八万二二〇三平方メートル)、日本石油精製(九三万九八三二平方メートル)は下松市とそれぞれ土地売買契約を締結した。市はほかに中小企業団地(九万五七七五平方メートル)を造成して、事業完了後、市の選定企業に譲渡することとした。
 事業は順調に進み、着工以来三年目の七四年六月末、埋立造成工事を完了、十月竣工認可を得て、日立製作所、日本石油精製に土地の引渡しを行い、大事業は完了した。

図1 下松市恋ケ浜臨海工業用地造成事業

表18 恋ケ浜埋立工事内容
位 置下松市大字東豊井字恋ケ浜地先
着 工昭和46年6月16日
完成予定昭和49年6月30日
埋立面積1・2・3工区 1,317,810m2(約 399,000坪)
5工区の1  10,820m2(約3,000坪)
5工区の2  23,559m2(約7,000坪)
埋立計画高1・2・3工区=+5.0m 5工区の1・2=+4.0m
埋立土量1・2・3工区=13,985,550m3 5工区の1=30,167m3
5工区の2=94,769m3
護岸延長1・2・3工区=2,590.70m 5工区の1=321m
5工区の2=362m
護岸構造捨石とケーソンの混成
総事業費約79億円
設計監理下松市埋立事業局 KK日建設計
施 工・護岸の部 鹿島建設KK ・埋立の部 五洋建設KK

 日立は工場拡張、日精は日産二〇万バーレルの大製油所の建設がほぼ確定していたので、市は工業用地造成中二社と公害防止協定、環境保全に関する協定を締結するなど、進出工場の公害防止、環境保全に万全を期した。
 この二大企業の進出で、下松市の飛躍が期待されたが、同年石油危機インフレの抑制策がとられ、景気は停滞して進出工場の着工時期は不明確となり、下松市は大打撃を受けることとなった。