戦後、文化国家として日本の再建が提唱され、観光が急速にクローズアップし、また経済再建の一助として観光事業が積極的に取り上げられた。下松市では、瀬戸内海国立公園区域拡張が論ぜられるようになると、一九四九年六月下松市観光協会が商工会議所を中心に急きょ設立され、市とタイアップして運動を展開した。翌年五月笠戸島が周辺の野島・大島半島等とともに瀬戸内海国立公園に編入され、観光都市下松が世間の注目を引くこととなった。
これに先立ち花岡では、戦後いち早く花岡地区の発展を目指して、花岡観光協会が設立され、花岡観光ルートとして、花岡八幡宮、境内の閼伽井坊多宝塔(国指定重要文化財)、花岡勘場跡の春雨桜、槙柏(天然記念物指定)、法静寺境内の出世福徳稲荷大明神、米泉峡と白雲の滝(現在末武川ダム内)、古城跡城山等を広く世間に紹介した。
下松市観光協会では、一層の観光下松の伸展を目指し、花岡観光協会を吸収合併して、景勝笠戸島の七浦巡り、白浜海水浴場、笠戸島ハイキングコースにあわせて、花岡の史跡と景勝地を市とタイアップして宣伝した。
七〇年十一月付近の景観にマッチした真紅の笠戸大橋(全長一五六・二メートル)が完成して、笠戸島は交通至便となり、翌年七月瀬戸内海が一望できる大城岬に、国民宿舎「大城」(宿泊人員一一四名)と大城岬公園が完成し、市は下松観光協会と提携して全国に向かって観光笠戸島を紹介した。七二年には全島の半分を占める国有林が自然休養林の指定を受けて一般に開放され、ハイキングコースや遊歩道の整備が進められた。七五年四月山口県勤労総合福祉センター「笠戸島ハイツ」(宿泊人員九五名)が、はなぐり岬に建築され、「大城」とともに休憩宿泊施設が完備した。
その後、日本の航空とスキーの先駆者である長岡外史の石像と外史公園、大城フィールド・アスレチックコース、デゴイチ広場、はなぐり海水浴場(人工海浜)、駐車場等が整備され大自然の風光に恵まれた笠戸島は、四季を通して海に山に名実ともに周南の憩いの場となった。現在家族旅行村、笠戸高山生活環境保全林事業が進められているほか、下松市栽培漁業センターを中心に育成されている「ひらめ」を笠戸ひらめとして広く宣伝し、売り出している。