石井市長は、このことを海上保安庁、米極東海軍司令部に一〇回にわたって陳情し、下松航路の安全が日本経済や下松市工業の復興に果たす役割の重要性と緊急性を陳情した。その結果、翌年初期から海上保安庁掃海隊による徹底した掃海が実施され、同年秋完了した。市は十二月開港祭を挙行し、同時に国は航海安全宣言を世界に向かって行った。
このことによって、日石下松製油所にはつぎつぎに大型油槽船が入港し、日立笠戸工場も輸出機関車、車輛の積立を開始するなど、下松市の工業は復興、進展を始めた。下松港に内外船舶の出入(表28)が増加するようになり、五一年九月重要港湾の指定をうけた。
表28 船舶入港状況 |
(単位:隻・屯) |
年度 | 1,000t以上 | 500t以上 | 500t以下 | 機 帆 船 | 合 計 | |||||
隻数 | 総トン数 | 隻数 | 総トン数 | 隻数 | 総トン数 | 隻数 | 総トン数 | 隻数 | 総トン数 | |
1948 | 16 | 22,350 | 3 | 2,641 | - | - | 535 | 32,919 | 554 | 57,910 |
1951 | 110 | 733,003 | 85 | 67,878 | 5,607 | 209,335 | 2,273 | 158,899 | 8,075 | 1,169,115 |
しかし、下松港の埠頭は工場の専用埠頭で大型船が着岸できる公共埠頭は皆無であった。そこで市は、国、県に強く要請した結果、県は取りあえず掘込式の公共港建設事業を、新港(現在東洋鋼鈑内)に開始した。しかし、港用地一万三四八八坪は下松土地から提供を受けたもので、種々の制約があり、国の補助枠も少なく、事業は遅延した。その間、船舶は大型化して掘込式の小港では港の機能が果たせなくなり、五五年、四七〇〇万円を投入した時点で工事を停止した。
そこへ、東洋鋼鈑の大拡張が計画され、工場用地として港の買取り要請があり、県は運輸省の承認を得て、六二年、一億一〇〇〇万円で鋼鈑に売渡した。
港売却費をもとに、六二年、県は新川沖に海面埋立による近代的な公共埠頭の建設を開始した。この新港(図3)は、荷揚場(二万七〇〇〇平方メートル)、着岸施設(水深四~三メートル、三千トン着岸可能)、防波堤が完備し、五カ年継続事業(事業費四億三〇〇〇万円)で施工され、六六年三月完成した。
図3 公共埠頭
この前年の四月徳山、下松港は特定重要港湾に指定され、下松市の産業発展とともに出入船舶(表29)、海上貨物輸送量(表30)、通関輸出入量(表30)が表示のように激増し、さらに大型船の着岸埠頭が必要となった。
表29 下松港入港船舶数、総トン数 |
(単位:隻・千トン) |
年次 | 総隻数 | 総トン数 | 500t未満 | 500 ~ 3,000t | 3,000 ~ 6,000t | 6,000t以上 | ||||
隻数 | 総トン数 | 隻数 | 総トン数 | 隻数 | 総トン数 | 隻数 | 総トン数 | |||
1960年 | 6,448 | 2,273 | 5,935 | 578 | 398 | 416 | 45 | 194 | 70 | 1,085 |
62 | 6,722 | 3,502 | 5,916 | 812 | 627 | 660 | 71 | 273 | 108 | 1,757 |
65 | 7,429 | 5,425 | 6,332 | 1,426 | 878 | 947 | 93 | 273 | 126 | 2,779 |
70 | 10,495 | 6,940 | 9,280 | 2,072 | 952 | 1,042 | 78 | 355 | 185 | 3,471 |
75 | 4,962 | 6,576 | 3,800 | 1,091 | 832 | 868 | 79 | 313 | 251 | 4,304 |
80 | 5,739 | 7,849 | 4,549 | 1,366 | 877 | 982 | 68 | 286 | 245 | 5,215 |
84 | 4,786 | 5,824 | 3,929 | 1,006 | 607 | 723 | 66 | 293 | 184 | 3,802 |