図4 下松都市計画市街地綜合計画図
しかし、財政問題(第一次財政再建。第一章3)が発生して、新規事業を抑制することとなり、都市計画事業は遅延することとなった。五七年都市計画税(市街化区域土地課税)の新設によって、都市計画七カ年計画を策定し、下松駅裏土地地区画整理事業、都市計画街路の建設、下水管の埋設等都市計画事業を進める計画をたてた。その後日本経済は高度成長期を迎え、下松市の産業活動は活発化し、雇用・人口・所得の増加とともに、市民も健康で快適な生活を希望し、都市計画事業は市の最大の行政課題となった。
六二年国道二号線の建設が完了し、市道城山線、都市計画街路中央線の工事も進捗して、末武平野が急速に開発されるようになったので、翌年四月末武平野のほとんど全部を用途地域(住宅・準工業地域)とする都市計画区域の大拡張(四二二・一ヘクタール)を行い用途地域を一一四六・三ヘクタールとした。同年周南四市一町(下松・徳山・光・防府市、南陽町)が工業整備特別地域に指定され、周南地域開発促進協議会が発足して、広域的な見地での行政が開始され、道路・都市計画など地域の関連が重視されることとなった。
六〇年代の後半を迎え、国民所得は増加し、持家指向が強まり、特に周南地域では、産業の発展と各企業の持家奨励の結果、宅地需要は急増して、都市計画区域内の地価は急上昇した。このため、市内では都市計画区域外で、地価が比較的安く、開発が容易な生野屋、久保地区に民間企業の手で、大・小住宅団地の開発が開始されたが、道路・学校・上、下水道等の公共施設の整備が市の大きな負担となった。
この傾向は、全国的な行財政問題となり、国は無秩序な市街化を抑制して、計画的な市街化の促進を図るため、六九年都市計画法の全面的改正を行った。この改正は、都市計画区域を市街化区域と市街化調整区域に区分し、市街化区域は道路・公園・上、下水道・学校など公共施設を整備して、健全な市街地の形成を促進するものであり、市街化調整区域は無秩序な宅地化を抑制し、農地を保全するとともに農業基盤整備を行い農業の振興を図って、効率的な公共投資により、調和のとれた都市づくりを行うというものである。
周南工特地域では周南都市計画として、広域で新都市計画法の適用を受けることとなり、国・県指導のもとに地域内市・町で調整を行い、七〇年周南都市計画が発足した。
下松市では将来人口八万人を現実的な六万五〇〇〇人の工業文化都市建設に改め、米川地域以外を都市計画区域とし、市街化区域と市街化調整区域に分けることとした。市街化区域はこれまでの下松地区・末武平野地区、住宅団地開発が進んだ生野屋、久保地区の久保市、川瀬などとし、面積を一四三〇ヘクタールに拡大して用途地域を定めた。市街化調整区域は笠戸島全域と久保地区(川瀬、久保市を除く)、下松・末武・花岡地区の山地となった。特に久保地区は農業振興地域に指定され、農業公共投資が行われることとなった。
また市街化区域内の用途地域は、旧法では住居・商業・準工業・工業の四区分であったが、新都市計画法では第一種住居専用・第二種住居専用・住居・近隣商業・商業・準工業・工業・工業専用地域の八区分となった。これに基づき下松市は周南都市計画下松地区として八区分し、用途地域にあった効率的な公共投資を行い、環境の保全を図ることとした。同時に開発指導要項を定めて団地開発の指導を強化した。その後、恋ケ浜臨海工業用地の造成、久保住宅団地の造成等があり、表33のように市街化区域の拡大、用途地域の変更が行われて、現在に至っている。
表33 都市計画用途地域 |
(単位:ha) |
区 分 | 総 数 | 第1種 住居専用 地域 | 第2種 住居専用 地域 | 住居 地域 | 近隣 商業 地域 | 商業 地域 | 準工業 地域 | 工業 地域 | 工業 専用 地域 |
1973年12月25日 | 1,430.0 | 141.0 | 325.0 | 469.0 | 25.0 | 70.0 | 137.0 | 54.0 | 209.0 |
77年 9月30日 | 1,685.0 | 191.0 | 346.0 | 506.0 | 26.0 | 70.0 | 149.0 | 53.0 | 345.0 |
81年 6月19日 | 1,685.0 | 191.0 | 346.0 | 505.5 | 26.0 | 70.0 | 149.0 | 52.0 | 345.0 |
86年 4月22日 | 1,705.0 | 191.0 | 360.0 | 512.0 | 26.0 | 70.0 | 150.0 | 52.0 | 345.0 |
全市面積比 | 18.7 | 2.1 | 3.8 | 5.6 | 0.3 | 0.8 | 1.7 | 0.6 | 3.8 |