要援護者が社会人として生活する場合、各種障害の除去、軽減のみでなく、社会参加のための能力向上を目指して、一九五一年、社会福祉事業法が判定され、国・地方公共団体による公的社会福祉事業と、社会福祉法人、その他の民間団体、個人が行う私的社会福祉事業が制度化された。これに基づき、全国各地に社会福祉協議会が設置され、住民の自主的参加による社会福祉が開始された。
下松市では、婦人会、青年団、社会福祉団体などの間に結成の機運が高まり、五四年一月下松市社会福祉協議会が発足した。当初は任意団体で、会員の拠出金、共同募金配分金、寄付金などの収入をもって、会の運営、福祉の啓発、福祉資金の貸付け、奉仕活動を行った。同年六月援護館を市から借り受け、中央保育園を開設、翌年四月、市民服装学園(六五年廃止)を開設し事業の拡充を行った。一方、市民の福祉対策、福祉活動の場として、市内九地区(下松、花岡、久保、末武、中村、米川、江の浦、深浦、本浦)に地区社会福祉協議会を設置した。
その後、社会福祉事業の一層の充実と発展を図るため、五九年五月、社会福祉法人の社協に改組した。法人化に当たり、下松市から、社協基本財産として、福祉会館(旧援護館、土地三八一坪、建物一七一坪五合)の譲渡を受け、さらに運営・活動費についても、低利融資、補助金が受けられることとなった。翌年市が中央保育園を移設増改築し、その経営委託を受け、以後心配ごと相談所の開設(六一年)、香力保育園、末武隣保館の経営受託(六二年)、下松市善意銀行の開設(六三年)、同和福祉援護資金貸付事業の受託(六四年)、米川児童館の経営受託、社会福祉センターの建設(六五年)等、社協の福祉施設の経営は充実し、下松市福祉行政の一翼を大きく担うこととなった。
また、地区の福祉活動を一層充実するため、下松地区社協を五地区(六四年、東・西・南・北・中央)に分割し、市内を一三地区社協とした。こうした社協・地区社協の活発な活動によって、六五年十月全国社会福祉協議会長表彰を受賞した。
その後も深浦・本浦・児童福祉センターの受託、七一年老人福祉センター「小城」の建設・開館等、事業を拡大していたが、七三年保育園受託事業は市に返還し、代わって翌年老人福祉会館「玉鶴」を建設・開館した。現在ではこのような事業活動にあわせ、各種ボランティア活動の推進、身障者各種サービス事業、地区社協を通じての小さな親切運動、福祉給食サービスなど、善意に満ちた、明るい、住みよいまちづくりのために活動している。