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児童と母子の福祉

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 戦後の保育施設として、私立第一・市二慈光園(定員それぞれ一〇〇名、一九五三年幼稚園に変更)、私立四恩保育園(定員五五名、六五年四恩幼稚園に統合)が設置されていた。児童福祉法施行後篤志家によって、愛隣幼児学園(定員六〇名)、和光保育園(定員五五名)、豊井保育園(定員一〇〇名)等が開設されたが、慈光園の幼稚園への変更に伴い、社会福祉協議会では働く女性の要望に応えるため中央保育園(定員六〇名)を開園した。
 その後、高度経済成長期に入り、児童を取巻く環境は複雑化し、核家族と働く母親の増加により、保育の問題、留守家庭における児童の問題が起こり、さらに乳幼児の保育所設置の要望が高まってきた。そのため市は、六〇年中央保育園を移設、増改築(定員一〇〇名)し、さらに六二年香力保育園(定員九〇名)を建設して、社協に経営を委託した。その後も働く婦人は増加し、保育園増設の要望がますます高まったため、七二年わかば保育園設置をするとともに、翌年中央、香力保育園を社協から市に移管し、中央保育園を増築(二〇名)した。つづいて七四年花岡保育園、七六年あおば保育園(乳児)を新設開園した。保育所の現況は表3のとおりである。
表3 保育園の状況 (1986年度)
公・
私別
保育所名所在定員園児数
あおば保育園尾尻120104
わかば 〃尾尻9077
中央  〃大手町一丁目120120
香力  〃香力9069
花岡  〃花岡東120116
和光  〃昭和通り9090
平田  〃平田9089
愛隣幼児〃大海町6061
8園780726

 生活環境に恵まれない児童を対象に、六五年米川児童館を設置、翌年深浦・本浦にも設置し、社協に経営委託を行い、地域児童の福祉を図った。さらに鍵っ子対策として社協では相生町に児童福祉センターを開設し、児童の健全育成に努めている。このほか、市内に一九カ所の児童遊園と三五カ所の児童広場を設置して、遊具を整備し児童に健全な遊び場を提供している。
 八七年現在、下松市には約四四〇世帯の母子家庭があり、激動する社会情勢の中で、母親は子供の健全な育成と生活の維持という責任を負っている。市はこれら母子家庭に対して自立・援助のための生活全般にわたる相談・指導、修学資金の貸付け、就職支度金の支給、生業資金の貸付けなど母子福祉対策を行っている。
 五一年児童福祉施設として、市内寺迫に設置した母子寮(木造平屋、一七〇坪、定員二〇世帯六〇名)は、要保護母子家庭の入所施設としての役割を果たしたが、しだいに入所者が減り、また建物も老朽化したため、六七年閉鎖した。