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国民健康保険

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 戦後、下松市には、政府管掌、組合、共済、船員等の健康保険に加入していない市民を対象に、国民健康保険組合が発足していたが、社会不安と悪性インフレによって事業休止の状態となった。
 しかし、市民の健康維持と医療費の軽減につながる国民健康保険の設置は、市政の最重要施策であると痛感された。そこで、一九五三年四月国民健康保険準備課を設置して制度の研究と医師の協力体制づくり、市民の啓蒙を開始し、七月下松市国民健康保険を発足させ、事業は順調に発展した。五九年国は「国民健康保険法」を改正して、市町村に国民健康保険の実施を義務づけ、国民皆保険が実現した。下松市は山口県の市部のなかで、その点、先鞭をつけたこととなった。
 発足当初の給付率は医療費の五割で他に出産手当・葬祭手当各五〇〇円があった。保険税の賦課割合は所得割四〇パーセント、資産割一〇パーセント、均等割五〇パーセント(世帯割年二〇〇円、個人割一人年一二〇円)となっていた。その後、六三年世帯主に対する七割給付が実現した。
 さらに、七二年から山口県単独事業で老人(七〇歳以上)医療費の無料化が実施されたが、翌年一月から国の老人医療費助成制度(七〇歳以上無料化)が実施されたので、県事業の方は廃止された。つづいて同年十月には、国による六五歳以上の寝たきり老人医療費の無料化も行われた。また、七四年には高額医療費支給制度(一件三万円以上)も実現するなど制度の充実が行われた。
 これに対して、同年保険税の一部改正が行われ、課税が所得割、均等割、世帯割となり、資産割は廃止され、均等割は一人年五〇〇円、世帯割は年一〇〇〇円に引上げられ、その後も物価・医療費(表6)の上昇にあわせ、課税額、賦課限度額も逐次改定され、八七年には課税限度額三九万円、均等割一人一万一七〇〇円、世帯割一万五〇〇〇円となった。一方、給付額も助産費一三万円、葬祭費四万円となっている。
 国民健康保険の加入状況は、当初総人口の三〇パーセントを超えていたが、産業の発展とともにしだいに減少し、七四年には二〇・二パーセントまで低下したが、その後漸増し八六年には二六、七パーセントに達している。
表6 国民健康保険の状況
年度総人口被保険者数加入率療養給付件数療養費助産費葬祭費高額療養費
件数金額件数金額件数金額
%千円千円千円千円
1958年44,50013,3303.034,85835,099
6044,69313,20429.538,64243,992135135105105
6248,48911,67524.035,51257,268101101122122
6449,63810,82221.842,70791,392119237111222
6949,66310,48521.157,758209,506146292135270
7152,24710,64420.459,903253,3411211,210128256
7455,63211,25920.268,930565,7641633,2609090016,690
7856,60512,27221.782,8861,117,6731267,5601112,2201,63762,326
8055,74212,83723.094,7941,554,8421139,0401263,7402,473106,760
8255,95913,43924.0100,7781,759,543929,2001656,6003,020133,305
8455,93314,27625.585,0321,199,953848,4001606,4001,37867,341
8655,28114,75826.790,7171,523,621769,8802138,5201,821110,952