これらの消防組織は、訓練を積み、迅速・的確な消防活動を実践して、五三年から五八年の六年間に国家消防本部長から機関表彰旗の授与を受けるなど、四度の機関表彰を受賞した。以後消防施設の整備・充実を進め、五八年五月徳山・光・下松三市で消防相互応援協定を結び、大災害発生時に対する協力体制を整え、六四年には周南地域の全市に拡大した。一方、市内四大工場の自衛消防団と相互応援協定を結び、消防の万全を期した。さらに六六年には、モータリゼーション時代を迎え、救急業務を開始した。
このような、消防業務の拡充・強化により、庁舎が狭隘となり、六八年大手町市庁舎北側に、鉄筋コンクリート三階建の新庁舎を建設して移転した。
その後、市内産業の発展によって、油脂類、化学製品などの貯蔵・使用量が急増し、この対策として、化学消火施設の整備を行い、また、中層建造物の増加のため、はしご車を配備するなど、消防施設の整備が進み、現状は図1のようになっている。なお、下松市の特筆すべき災害は表20のとおりである。
図1 消防機関の組織
表20 災害発生状況 |
災 害 名 | 発生年月日 | 被 害 状 況 |
キジア台風災害 (高潮、豪雨) | 1950. 9.12 | 家屋全壊17戸、流失1、半壊61、床上浸水187戸、被害者926人、負傷1人、道路決潰12箇所、橋流失2、堤防決潰9箇所、田畑流失3町歩、水稲損害6,000石、被害総額3億円 |
二の宮町爆発事件 (鉄くず処理中機雷爆発) | 1951. 1.25 | 死者1人、重傷3人、軽傷17人、住宅全壊7戸、半壊30戸、小被害173戸、非住家半壊5戸、漁船大破11隻、中破7隻、小破5隻 |
ルース台風災害 (暴風雨、雨量当日257mm前後計600mm) | 1951.10.13 | 床上、床下浸水2,000戸、全水田半作以下、道路決潰17箇所、堤防決潰19箇所、橋流失6箇所、戦後最大被害、災害救助法の適用を受ける。 |
6月5日豪雨災害 (雨量1晩288.4mm) | 1953. 6. 5 | 床上・床下浸水505戸、麦作損害2,500石、末武川堤防和田橋下流200m決潰、被害額1億円以上 |