新憲法によって、国民の自由と平等・基本的人権が保障されたものの、最も深刻な同和問題は戦後の混乱・動揺のなかで低迷をつづけていたが、やがて民主主義の基本にかかわる社会問題として大きく取りあげられるに至った。
一九五二年六月、文部省は戦後はじめて同和教育に関する次官通達を発し、学校および社会の教育的活動をする場合、同和教育に意を用い、その指導を徹底するよう都道府県に要請した。県教育委員会においては十月に「同和教育の基本方針」を発表し、同和教育の啓発と指導者の養成を軸として全県的体制で推進する方途を明らかにした。
本市における同和教育は、文部省や県教育委員会の同和教育に関する資料や講習会への積極的参加によってしだいに認識を深め、六一年度に中村小学校が文部省同和教育研究指定校となったのを契機に、全市の小・中学校が同和教育の研究実践に取り組むようになった。市教育委員会は、同和教育を市民的課題として推進するため、六一年二月に、藤範晃誠元内閣同和対策専門委員を招聘して同和教育指導者研修会を開催した。
市教育委員会は、さらに同和教育を具体化するため、六六年に「下松市学校同和教育計画」を、翌年には本市の同和教育の目標・方針を含めた「同和教育資料」を作成し、学校における同和教育の位置づけ、指導計画の樹立と実践化、教職員の同和観の確立と指導力の向上について鋭意努力するよう各学校に要請した。このうち同和観の確立については、市教育委員会が、六九年度に市内小・中学校全教職員を対象に、また市は七一年度と翌年度にわたって市役所全職員を対象に、それぞれ同和に関する職務研修を実施した。
このように同和教育の施策が推進されるなかで全市的な研究実践の組織化も進み、七〇年小・中学校同和教育主任による下松市小・中学校同和教育研究会が組織され、七八年六月、新たに規約を制定して組織の拡充強化を図った。同和教育推進上の諸問題の研究、資料の収集と紹介、関係諸機関との連携を主な事業とし、同和教育計画共通資料(七六年)・同和教育実践事例集・同和教育質問集(七七年)をはじめとして同和教育研究集録を適宜編集配布し、学校における同和教育の深化に大きく貢献している。また七三年には、小学校教職員研修会・中学校教職員研修会の組織のなかに同和教育部会を新たに設け、全教職員の共通課題として研究実践に取り組む態勢を整え、同和教育の推進に一段と力が加わった。さらに七五年に行政と学校の関係者からなる下松市同和教育推進研究会が発足し、実態に即した同和教育の推進方法や施策等について検討し、その適正化・徹底化に努力をそそいでいる。
一方、同和教育の推進とともに対象地区の教育条件整備も進められ、まず人事の面では、六六年度に関係中学校に同和教育担当生徒指導主事が配置され、六九年度には関係小学校に同和教育主事が加配されて指導の強化が図られた。また施設面では、七九年九月中村小学校の運動場拡張や鉄筋三階建ての新築校舎が完成し、また生徒に対しては将来の進路に備え、進学奨励制度や夜間の学力促進学級を設けて進学の奨励・助成を行っている。
社会同和教育においては一般啓発活動に重点をおき、市民向けの資料・パンフレットを作成、配布、また市広報等を通じてその周知認識を深めることに努めるとともに、公民館や社会教育団体の研修に同和教育を取り入れ、一般市民を対象とする下松市同和教育推進研究大会や同和教育研修講座を開催するなど積極的な取り組みを展開している。
七七年五月、市教育委員会は学校教育・社会教育を含めた総合的同和教育推進機関として下松市同和教育推進委員会を設置して、対象地区協議会・教育関係機関・社会教育関係団体・行政関係機関および企業・事業所等のなかから委員を委嘱した。推進委員は、同和教育の一般的啓発に対する企画・指導、同和教育研修会開催の促進、同和教育研修会における指導・助言、同和教育に関する相談活動を行うものとし、本市同和教育推進の中核的な役割を果たしている。
さらに八二年五月には一〇〇名以上の従業員をもつ企業・事業所や官公庁で構成する下松市企業・事業所同和教育推進連絡協議会が発足し、同和教育に関する共同研修・部内教育の徹底を期して努力を続けている。
かような全市的体制のもとに同和教育も着々と成果をあげているが、健康で明るい民主社会の創造を目指すまちづくり運動が展開されている今日、同和問題の解決はぜひ成しとげねばならない課題であり、今後一層の深化、徹底が期待されている。