一九四五年(昭和二十)八月、広島・長崎両市に原子爆弾が投下されるに及んで、ついにポツダム宣言を受諾して無条件降伏をし、八月十五日に終戦の玉音放送が行われた。疲弊と虚脱と食糧難にさらされ、目標を失った国民は、極度の不安と動揺のなかをさまよう状態であって、政府は、早急に戦後処理と祖国再建の方策を明らかにする必要にせまられた。
文部省においても、ただちに戦時教育の停止、学徒動員の解除、平常授業への復帰等を指示し、翌九月には、「新日本建設ノ教育方針」を発表した。これにより、今後のわが国の教育は、国体の護持に努めるとともに、軍国的思想と施策を払拭し、平和国家の建設を目途として国民の教養、科学的思考力、平和愛好の念、知徳の一般水準を高めて、世界の進運に貢献することを方針として、文教諸政策を積極的に推進することを明らかにした。さらに、教育の体制、教科書・教職員・学徒に対する措置、科学教育、社会教育、青少年団体、宗教、体育、文部省機構の改革をかかげ、文部省の意向を具体的に示した。
また、同月に次官通達を出して、教科用図書における極端な国家主義や軍国主義の記述個所を抹消するよう指示し、いわゆる墨塗り教科書の使用となった。
同年八月、マッカーサー連合国最高司令官が着任して占領政策がいよいよ本格化し、さっそく同最高司令部は十月に日本政府に対し「日本の教育制度の管理についての指令」を発した。その内容は、軍国主義、極端な国家主義、軍事教育の禁止、議会政治、国際平和、個人の尊厳、集会・言論・信教の自由の確保、教員と教育官吏の適格審査と不適格者の追放、教科目・教科書・教授指導者・教材のなかから軍国主義、極端な国家主義記述の削除、新教科書の作成などを取りあげ、その実行を強く命じたものであった。このうち、教員および教育官吏の適格については、同月、重ねて「教育関係者の資格についての指令」を出し、その徹底を指示した。さらに十二月に入って、「国家神道についての指令」を発して、神道の行政や教育との結びつきを禁止し、また同月「修身科、国史科、地理科の中止についての指令」を出した。これらの国家神道や教科は、国家主義・軍国主義の根源をなすものとの見地から、厳しい取締りが行われた。以上の教育に関する四指令は、日本の新教育を方向づける重要な意義をもつものである。
一九四六年三月には、第一次米国教育使節団が来日し、その報告書に基づいて最高司令部はつぎのことを日本政府へ勧告した。教育の地方分権化、義務教育九年制の実施、国語の改革としてローマ字の採用、教科課程作成上の留意点、男女共学、成人教育の助長、高等教育の性格など、教育の民主化にとって、きわめて重要な事項を含むものであった。
文部省は、四六年五月、これらの指令や勧告をふまえ、新日本建設の根本問題、新日本教育の重点、新教育の方法などについて、詳細に解説した「新教育指針」を公表して、教育者の手引きに供した。
戦後の新しい教育の法制化は、四六年十一月三日に公布された「日本国憲法」により、学問の自由、教育の機会均等、義務教育の無償を定めたことに始まり、これを受けて翌年三月「教育基本法」が制定された。
教育基本法では、教育の目的は、人格の完成を目指し、平和的な国家と社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自立的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行うものとした。教育の方針については、教育の目的はあらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならず、この目的を達成するために、学問の自由を尊重し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するよう努めなければならないと規定した。更に、教育の機会均等、九年制の義務教育、男女共学、学校教育、社会教育・政治教育・実業教育・教育行政等の基本的原則を定めた。