一九二一年(大正十)創設された県立下松工業学校は機械科・応用化学科で構成されたが(第四編・第九章、3)戦中末期の昭和十九年四月に開設された造船科は、戦中戦後の資材不足のため整備がはかどらず、加えて戦後、造船業等の不振により四七年三月をもって廃止され、生徒は機械科に編入された。また、この年に専修科も廃止となった。
翌年四月、新学制により県立下松工業高等学校、県立下松第二工業高等学校(夜間制)と改組、改称され、四九年四月には、下松第二工業高等学校は下松工業高等学校に統合されて定時制課程に改められた。
その後、六〇年四月に、電気科が増設され、六二年四月には田布施分校が設置された。当初は工業技術科のみであったが、六九年四月に精密機械科が増置され、八四年四月には県立田布施工業高等学校として独立した。