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新しい市民学習を目指して

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 終戦直後の一九四五年九月に文部省は戦後混乱期のなかで、いち早く今後のわが国教育の歩むべき方向として「新日本建設ノ教育方針」を示した。社会教育については、国家・民族の復興に重要な役割りを果たすものとして、その方策を明らかにした。続いて同年十一月に訓令「社会教育振興ニ関スル件」を布達し、県においても翌年一月同様の訓令を出した。文部省は社会教育局を、県は内務部に社会教育課をそれぞれ復活、設置して行政機能を拡充し社会教育の伸展に備えた。
 四七年三月、「教育基本法」が公布され、その第七条において社会教育に関する国と地方公共団体の責任を明らかにした。これを受けて四九年六月には、社会教育に関する単独法として「社会教育法」が制定された。この法令によって、国と地方公共団体の社会教育に関する任務、市町村教育委員会の社会教育に関する事務、行政と社会教育関係団体との関係、社会教育委員の設置、公民館の運営、学校施設の利用、通信教育等が規定され、社会教育推進の基本が確立された。続いて五〇年から翌年にかけて「図書館法」、「文化財保護法」、「博物館法」が公布され、社会教育に関する法制の整備をみるに至った。
 本市においては戦後間もなく市民の意欲的な活動によって早くも体育協会、婦人会、青年団が復活し、また新たにPTA、各種文化団体の組織化が進み、一九五一年までの間に各社会教育団体の全市的連合組織が確立された。このころから、市教育委員会主催の市民美術展をはじめ、社会教育団体の文化行事、体育行事も多彩に開催されるようになり、市民の文化・体育の普及・向上に大きな役割を果たしてきた。
 市行政もこれに対応して四九年十二月に社会教育法に基づいて下松市社会教育委員を設置し、五二年六月には社会教育課を新設した。また社会教育施設として同年四月に下松市立図書館、下松市民館を開設し、六一年から翌年にかけて地区公民館を設置した。当時はいずれも間に合わせ的なものであったが、後述するようにしだいに近代的建物に改築され、その整備・充実が進められた。
 六六年に、市教育委員会は生涯学習の重要性から、社学一体の教育態勢確立の新たな方針を打ち出し、社会教育では人間成長の各時期における発達課題を設定し、その研究実践を推進した。
 このころ、わが国の産業経済も高度の成長を示し、経済的価値観の多様化、都市化・情報化・余暇時間・高齢化等が進むなかで、人間性や連帯感の後退する現象が生じ、社会教育のうえにも新たな課題をもたらした。本市では六九年に制定された市民憲章の実践推進を中軸として、健康で明るく、活気に満ちた文化的市民社会の創造を目指し、各種団体活動を通じ、また地区公民館を拠点として、人づくり・まちづくり運動を積極的に展開してきた。