ビューア該当ページ

広がる公民館活動

1035 ~ 1036 / 1124ページ
 戦前すでに公民館の構想はあったが、戦後、社会教育振興の拠点として見直され、一九四六年七月文部省は「公民館の設置運営について」の次官通達を出し、さらに四九年六月に公布された「社会教育法」によって法制化され、公民館設置の機運が急速に高まってきた。
 市においては、時代の要請にこたえ、五二年六月に元市役所庁舎の一階を改装して会議室・ホール等五室を設け、下松市民館を開設した。つづいて十二月に下松市民館花岡分館を建設し、翌年十二月には久保小学校講堂建築にあわせて和室二室を増築し久保市民館と称して地域住民の活用に供した。この市民館の名称は、五五年五月に市条例をもって公民館に改められた。
 その後、地域における社会教育活動の進展に伴い、これに対応しその助長を図るため、市教育委員会は六一年から翌年にかけて各小学校区ごとに公民館を設置した。しかし当時の公民館は下松・花岡公民館以外は、小学校の施設あるいは香力会館や笠戸本浦自治会館等を借用したものであり、また館長・主事も学校長・教頭・市職員・地区学識経験者が兼務するという状況であった。
 六五年ごろから、急激な社会構造の変化、地域連帯感の後退、高齢化社会の進展等の現象が強まり、これに対応して生涯教育やコミュニティづくり運動、あたたかいふる里づくり運動、福祉のまちづくり運動が展開され、公民館はその拠点として一層重視されるようになった。
 これに応じて公民館施設も歴代市長によって近代化がはかられ、七六年以降の財政再建の窮屈な時代においても、電源開発国庫交付金や石油備蓄国庫交付金をこの財源に含めて、公民館施設の整備を積極的に進め、表3のように新築され充実するに至った。
表3 公民館の整備
公民館名竣工開館構造・建物面積
中央公民館1964年11月下松市民会館内に併設
末武公民館1973年 5月鉄筋2階建890平方メートル
花岡公民館1979年 3月鉄筋平屋建1,017平方メートル
久保公民館1980年12月鉄筋2階建998平方メートル
豊井公民館1982年 4月鉄筋3階建1,445平方メートル