戦後の混乱や経済・物資の困窮の中で、青少年の非行化が進み、さらに、その後の急速な経済成長に伴って物質偏重、利己的な価値観、過剰な情報、家庭、地域の教育影響力の低下等の現象が生じた。青少年を取り巻く環境はしだいに悪化し、それを反映して全国的に青少年の非行も悪質化・低年齢化の傾向を示し、大きな社会問題・教育問題となってきた。
下松市においては、青少年の非行を未然に防止するため一九五六年五月に、市内の小・中・高等学校、警察署、消防署、教育委員会で下松市校外補導連盟が組織され、情報の交換、不良化防止対策の樹立と推進、街頭補導等を行って、その徹底に尽力してきた。
また、市でも青少年健全育成を重視し、五七年六月に、青少年問題協議会設置法に基づいて下松青少年問題協議会を設置した。委員は市議会議員・関係行政機関の職員、学識経験者の中から市長が任命し、福祉環境部会・組織活動部会・教育研修部会を設けて、青少年の指導・育成・保護に関する総合的施策の樹立と実施、関係行政機関相互の連絡調整を行った。
ついで五九年度から三カ年にわたって、県の青少年対策推進地区の指定を受け、子ども会の育成、青少年の善導等に関する対策の樹立と実践に取り組むとともに、下松市青少年育成センターを設置して、青少年の相談や問題青少年の早期発見と補導に努めた。
六六年九月に山口県青少年育成県民会議が設けられ、各市町村民のうちから地区推進員を委嘱し、全県的組織で青少年健全育成の推進を図った。下松市地区推進員も熱心な活動を続け七〇年六月には下松市推進員協議会を結成した。
その後、全国的に青少年の非行化・粗暴化の傾向が一段と強まってきたことに対して、七七年三月に下松市青少年育成協議会が結成された。協議会は小・中・高等学校、社会教育団体と関連する諸団体によって構成され、家庭の健全化、社会環境の浄化、悪書追放、非行防止等の諸運動を積極的に展開し、青少年健全育成活動の中核となって大きな役割を果たしてきた。
このほか非行少年を対象として下松BBS会が六二年五月に発足し、そのよき友となり、誠意と熱意をもって補導に当たっている。
市においては前記の民間活動を積極的に援助するとともに、行政の立場からつぎの諸政策を実施した。
(一) 下松市青少年温見野営場の開設 一九五七年七月に石井市長が日独交歓健民青少年派遣団副団長として訪独し、同国の進んだ青少年対策に触発され、五九年四月に温見野営場を建設した。森と湖の美しい自然環境の中で、青少年の共同生活を通じて心身を鍛練する場として提供されたものであったが、時代の推移とともにさびれていった。
(二) 児童生徒表彰制度の創設 児童生徒の学校内外における諸活動を激励、助長するため、篤志家の寄付金を資金としてつぎの表彰が市条例をもって制定され、児童生徒にとって大きな励みとなっている。
○優良・善行および文化活動に優れた児童生徒の表彰-五六年より施行。
○優良子ども会の表彰-五九年より施行。
○少年スポーツ優秀選手の表彰-六四年より施行。
(三) 青少年の海外交流 六八年八月に、山中市長が南欧青少年派遣団団長として訪欧したのを契機に、国際化の時代にそなえ青少年の国際理解・国際親善の事業が積極的に推進されるに至った。六六年から総理府や世界青少年交流協会などの行っている青少年海外派遣団に青年の参加を積極的に呼びかけて助成し、また海外青少年の受入れについては六九年から毎年、関係団体協力のもとに、西独・ハンガリー・カナダ・オーストリア・オーストラリアの青少年派遣団を迎え、青年との交流をはかった。しかし、この受入れも七七年から財政再建の事情によって中止されるに至った。
その後、八七年二月に株式会社山田事務所社長から、青少年の国際化時代にふさわしい国際感覚の向上と国際交流を推進するための資金として一億二〇〇〇万円の寄付があり、市はこれを受けて翌三月、下松市山田国際交流教育基金条例を制定した。これによる事業として、青少年の短期海外派遣、研修、国際交流セミナーの開催、外国人英語講師による指導事業、英語教師の海外派遣研修等が計画されている。
(四) 青少年室の設置 八六年四月に社会教育課に青少年室を新設して指導員男女二名を配置し、悩み・心配ごとをもつ青少年や保護者からの直接電話相談や面接相談の業務を開始した。