山口県は一九六三年開催の国民体育大会にそなえ、六一年から健民運動の一環として花いっぱい運動を推進した。下松市も国体の一会場になることから市民も熱心に花いっぱい運動に取り組み、さらに今後の定着・発展を図るため、山口国体開催の十一月に下松市花いっぱいの会を結成し、青い花・赤い空・緑のまちを合言葉に活発な実践活動を展開してきた。
他方、緑化については、市が都市の景観や市民の健康などを考慮して主導的立場をとり、緑化のマスタープランを策定して緑と空間の保存と造成を推進した。七二年には、環境部緑化推進課の新設、「下松市緑化条例」、「下松市樹木等保存に関する条例」の制定、緑化審議会の設置等を行った。翌年下松市緑化センターを開設。さらに八六年には「下松市緑化基金条例」を制定して行政上の緑化推進体制の確立を図った。
民間の緑化推進団体としては、六九年にみどりの会が発足したが、七三年十二月に緑化推進の会が新たに結成されるに及んで発展的に解消した。
これまで、花いっぱいの会と緑化推進の会は強固な連携のもとに行事も共催してきたが、七五年六月に合体して下松市花と緑の会と改称し、花と緑を愛する美しいまちづくりをめざし、新たな意欲をもって力強い市民運動を展開するに至った。花いっぱいの会・緑化推進の会の時代から積極的に活動を拡充してつぎの事業を実施し、その普及向上に顕著な成果をあげてきた。花壇コンクール、サルビア一鉢コンクール、市民植樹祭、花と緑のまちづくり大会、花と緑の推進大会、花と緑のまちづくり運動大集会、花と緑の祭典等の開催。市民の花としてサルビヤ、市民の木としてヤマモモの選定、などである。
このように花と緑の運動が進展する中で、つぎの団体や学校が全国表彰を受賞し一層の活気をもたらした。全国学校環境緑化コンクール特選を豊井小学校(六三年)、全国美しいまちづくりコンクール入選を青木社宅自治会(六六年)、東洋鋼鈑社宅自治会連合会(六八年)、全国小中学校花いっぱいコンクール優秀賞を豊井小学校(六八年)、同コンクール地方優良賞を江の浦小学校(同年)、全国学校造林コンクール特選を米川小学校(七〇年)が、それぞれ受賞した。
緑化意識の高まりとともに植樹運動も活発となり、市民の手による記念の杜(もり)がつぎのように造成されていった。市民の森(下松公園の一部を開放して個人・家庭・団体の記念植樹に提供)、福祉の杜(古川公園)、青年の杜(大城)、ライオンズの杜(市民会館前)、婦人の杜(大城)、信販の杜(大城)、消防の杜(消防本部敷地)、徳中の杜(下松公園)、鋼鈑の杜(下松公園)、などである。