戦後の男女平等・婦人参政権等に基づく婦人の地位向上に対する婦人研修の必要や地域社会の混乱・食糧難・インフレ等の生活への対応など新しい課題に迫られる中で、地域婦人の組織化が進められ、終戦翌年の秋ごろから漸次各地区に新しい婦人会の誕生がみられるようになった。各地区婦人会の活動が活発になるとともに、さらに全市的な組織への機運が高まり、一九五〇(昭和二十五年)九月に下松市連合婦人会が結成されるに至った。
その後、人づくり、まちづくり運動にも積極的な協力活動を続ける中で、会員の資質・教養・連帯感を高めながら実績を積み重ねて発展し、六二年から七二年にかけて、全市域に及ぶ一四単位婦人会(第一-第五地区・久保・花岡・中村・米川・末武・笠戸・江の浦・小深浦・深浦各婦人会)が連合体をつくり、総会員五〇〇〇人を超える組織力を擁する最盛期を迎えた。
しかし七三年以降になると、数地区の婦人会が連合婦人会の組織から脱退し、一方、新たに参加した地区婦人会もあって、現在は一〇単位婦人会・会員一五〇〇人に減少した。このことは、時代の発展に伴って、就労婦人の増加・価値観の多様化、趣味娯楽などのサークル活動の伸展が顕著となり、その影響を強く受けているものと考えられる。
連合婦人会結成以来、つぎの活動や事業を活発に展開し、婦人会活動を通じて家庭・社会の健全化、社会福祉の増進に積極的に取り組み大きな成果をあげている。
知性・教養の向上-講演会・文化講座・婦人学級・婦人講座・婦人生活研究発表会等の開催。
健康体力の増進-婦人会体育祭・栄養教室・家庭看護学習会等の開催、体力テストの実施、各種スポーツ行事への積極参加。
心身ともに健やかな子女の育成-母の集い大会・教育講演会の開催、青少年健全育成運動への参加。
明るく住みよい地域づくりの推進-結婚改善運動と結婚衣裳の貸出し、献血、徳山競艇場設置反対運動、国旗の全市掲揚運動、敬老会の開催、市民憲章の実践活動、その他各種の市民運動への参加・協力。
記念事業の実施-明治百年記念事業として桜の苗木二三〇本を購入、育成し、七二年から翌年にかけて笠戸島大城に植樹して婦人の杜を造成。七四年九月、連合婦人会結成二十五周年記念事業として、母の慈愛とたくましく育つ子どもを象徴する「母子像」(木内礼智日展審査員製作)を建立、当初は市民会館前に設置したが、新市庁舎落成によってその前庭に移設。