文化国家の建設、国民の文化的教養の向上は、戦後の重要な国民的課題であり、下松市においても、この自覚のもとに、当時は社会的、経済的、道義的な混乱期にありながら、早くも自発的、主体的な文化活動の胎動が始まり、熱心な有志の奔走によって文化団体・文化サークルの復活や新たな結成をみるようになった。
その後、全市的、総合的な組織化への気運が高まり、一九五一年文化の日に市民の文化団体や市内大工場内の文化部門が一体となって下松市文化協会を創設した。
当初は、連盟を単位とする組織であったが、五四年から文化団体の基盤強化と拡充に重点をおく方針のもとに、各文化団体を単位とする新文化協会組織に改めた。そのため文化団体も増加し、また文化行事も多岐にわたるようになったので、再び組織の見直しが行われ、七八年から企画運営の適正化を図って連盟制度を復活し、諸文化行事はそれぞれの関係連盟で実施することとした。
各連盟主催の文化行事-市民音楽祭(五二年発足)、市民芸能祭(五七年発足)、市民邦楽祭・市民文化展(六九年発足)、市民舞踊祭・市民吟詠発表会(八〇年発足)、市民美術文化展(八二年発足)。
文化協会直営の文化行事-一日入門講座(八一年発足)、文協の日記念大会(八二年発足)。
現在、文化協会の組織は一一連盟、単位文化団体七六、会員三一〇〇人で構成され、それぞれ市民に密着した文化活動を積極的に展開して、本市文化の発展に大きく貢献している。
また文化協会傘下の連盟・協会・単位会や公民館・文芸サークル等による発表会・展示会の開催や短歌集・俳句集の刊行などを通じて市民の文化水準も高揚し、個人的にも陶芸・絵画・書道を中心に国・県レベルの審査会に数多くの入選者を出している。
これらの文化活動にこたえ、市教育委員会は、八三年八月に芸術文化振興奨励賞を新設して、優れた創作活動を続けているものを表彰激励し、また八六年十月には市長表彰の芸術文化功労賞を設けて、永年にわたり本市芸術文化の振興推進に功績のあったものに対し、その功労をたたえて顕彰している。