一九四六年一月に、戦前の下松市体育会を発展的に解消して下松市体育協会を結成し、新たな意欲をもって再出発した。加盟団体の拡充、選手指導者の養成、スポーツの振興を目標として活動を続け、下松市体育祭の創始、国際親善スポーツ大会や全国的なスポーツ競技大会の誘致、傘下の連盟・協会による一般市民対象の競技大会・練習会・スポーツ教室等の開催を通じ、スポーツの発展・向上に顕著な成果をあげてきた。六二年十月には当時の活躍の実績が評価され、岡山国体にさいし、社会体育優良団体として文部大臣表彰を受賞した。
現在、加盟団体二三、会員八四八五名を擁し、総力をあげて体育協会本来の目標実現に努め、スポーツによる明るいまちづくり運動にも積極的に協力して活躍を続けている。
また六二年の山口県婦人バレーボール大会において本市チームが優勝したのを契機に婦人スポーツの組織化が進められ、六五年九月に下松市婦人スポーツ同好会が発足した。市体育館を拠点とし、バドミントン・バレーボール・卓球・健康体操等の種目を中心に毎月数回定例会を開催し、体力・実技の向上に努めている。
これが刺激となり、またスポーツ重点種目の強化、健康体力つくり運動の推進とあいまって、地域の婦人スポーツも急速に活発となり、つぎの成績が示すような目ざましい成長を遂げるに至った。すなわち下松クラブは、七四年十月、全日本バレーボールクラブカップ六人制大会で全国三位、その後も七五、七六、七七、八四年と引き続いて出場した。また同九人制大会には七八年から八二年まで連続出場している。一方、末武クラブは七七年八月、全国家庭婦人バレーボール大会で優勝した。また、三友クラブは八四年八月、全国家庭婦人バレーボール大会に出場した。
健康体力つくり運動に呼応して六七年一月に、だれでも気軽に参加できる運動として、下松市歩こう会が結成された。定例歩こう会・体力テストの実施、親睦体育レクレエーションの開催、県大会への積極参加等のほか、富士山をはじめ県外名山の登山も試みて健脚を発揮し、健康体力の保持・増進に大きな成果をあげ、七八年十月文部大臣表彰を受賞した。
児童生徒の校外生活をスポーツによって充実させ、その健全な成長を目指して、六三年二月に、いち早く中村スポーツ少年団が発足した。その後つぎつぎと各地区に結成されていき、六六年四月には下松市スポーツ少年団本部を設置し、全市的な指導・育成の体制を確立した。
現在は、全市域にわたってスポーツ少年団が結成され、男子スポーツ少年団一七団、女子スポーツ少年団四団、総団員数六七一名に及んでいる。ソフトボール・軟式野球・サッカーボール・ミニバスケットボール・剣道・柔道の種目別に組織され、熱心なスポーツ活動を続けている。そのなかで、旗岡スポーツ少年団軟式野球チームが八六年八月に全日本学童軟式野球大会に県代表として出場した記録を残している。