推古天皇の御代に、青柳浦の松の木に、七星の降臨があった三年の後、その予言の通り来朝した百済(くだら)の琳聖太子(りんしょうたいし)は、里びとのお祭りしたお社を、桂木山(かつらぎやま)(宮の州(みやのす))にうつし、百済から持ってきた北辰尊星(ほくしんそんせい)の神体をまつり、太子みずから星供養(くよう)をした。これが日本における星まつりのはじめといわれる。今でも、下松の妙見宮では、毎年この星まつりが盛大に行われ、遠近からの善男、善女でにぎわっている。
この妙見菩薩は、別名、北斗菩薩尊星王ともいわれ、北斗七星を神格化したもので、これを念ずれば、国土を守り、災いをとり除き、平和を招き、人々に長寿、延命、福徳をもたらす霊験があると信じられている。