今は、妙見宮の境内(けいだい)に移し祭られている元町の荒神さまは、伝説によると、下松の町並がまだ磯だった頃、荒神・昆沙門(びしゃもん)・弁天(べんてん)の三体が、一つの壺に納まり磯に流れついたのを、それぞれ分けてお祭りしたものという。
毎年、五月二十七・八日の荒神御神幸は、俗に「けんか祭」とよばれ、下松名物の一つだった。この日、血気にはやる浜の衆は二手に分かれ、みこしをそれぞれかつぎ出す。浦町衆の「しおくみ」には、中市・新地の衆が加勢にかけつけ、新町の「やぐら太鼓組」は室町・西市の衆が加わり気勢をあげる。けんかに身がはいればはいるだけ、荒神さまのお気に召し、御褒美(ほうび)には、沖の波をやわらげ大漁があるといわれている。
父祖伝来の信仰と生活をかけたお祭りだから、双方のみこしが出合うと、たちまち石やかわらがとび、けが人も続出したといわれる。年を重ねるにつれ、新旧町筋の感情的な対立に発展しかねないため、これ以上大事を引き起こしてはということで取り止めとなった。