寺迫半上(てらさこはんじょう)の大谷川左岸、現在の山陽本線のそばあたりに「剣突場(けんつきば)」があり、そこで下級武士などが毎日集まって、剣道の稽古(けいこ)をしていたということである。
長州征伐の頃であろうか、正立寺(しょうりゅうじ)山門の前から上豊井の薬師堂(やくしどう)まで、道端にむしろを敷いて兵隊が番をしており、正立寺には歩哨(ほしょう)が立っていた。どうも正立寺がその陣屋ではなかったかということである。そして、恋ヶ浜の桂木山の山頂に「非常鐘」があり、来襲に備えて合図の鐘を打ち鳴らしていたという話だ。
この上豊井の薬師堂には、お地蔵様も祭ってあるが、このお地蔵様は踊りが大好きで、夏によく注「おこり」がはやると、人々は菓子と酒を供え、お地蔵様の前で太鼓を叩いて踊り、皆へそのお供物を配り、お供えの水をいただくと「おこり」が治るといわれていた。
注 おこり=はやりやまいの一種で、熱病のこと。
長州征伐の頃であろうか、正立寺(しょうりゅうじ)山門の前から上豊井の薬師堂(やくしどう)まで、道端にむしろを敷いて兵隊が番をしており、正立寺には歩哨(ほしょう)が立っていた。どうも正立寺がその陣屋ではなかったかということである。そして、恋ヶ浜の桂木山の山頂に「非常鐘」があり、来襲に備えて合図の鐘を打ち鳴らしていたという話だ。
この上豊井の薬師堂には、お地蔵様も祭ってあるが、このお地蔵様は踊りが大好きで、夏によく注「おこり」がはやると、人々は菓子と酒を供え、お地蔵様の前で太鼓を叩いて踊り、皆へそのお供物を配り、お供えの水をいただくと「おこり」が治るといわれていた。
注 おこり=はやりやまいの一種で、熱病のこと。