15 百姓一揆(ひゃくしょういっき) (末武地区)

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 天保(てんぽう)二年(一八三一)七月、末武下村の百姓六百余名が、花岡八幡宮の境内にたてこもり大変であったが、いろいろの人たちの説得により、大事に至らなかったといい伝えられている。
 八幡宮社家の日記に、次のように記してある。
   七月二十七日、今日宮市百姓勢起る。引続き、三田尻、中之関。
   山口迄の間、道々残らず大変のこと。山口は八月朔日(ついたち)、二日。
   萩より諸役人早馬にて御出張。花岡町中もいろいろやりました。
   改変、大変なり。   大庄屋 内富源左衛門。
   末武下村百姓六百人余 八幡宮に籠り、大変、改変。 下村庄屋 堀吉郎左衛門
   当町御目付、福井吉兵衛様御出張、御徒歩目付(おかちめつけ)以下、上下三十人余、五十日余、上ノ野村家に滞留のこと。