むかし、むかし、ある所の森に、百年の功を経て全身銀色に輝く、毛並も美しく神々しい白狐の夫婦が住んでいた。
この上は京にのぼり、伏見の御本殿から位を授かり、神通力を得ようと相談し、牡の白狐が、まず旅立つことになった。幾日も幾日もとまりを重ねて、ようやくこの末武村にさしかかりやっとひと休みというところを、運悪くこの地の浜子たちに見つけられたのである。
浜子たちは、話には聞いていたが、見たこともない見事な白狐なので、「獲って食べよう。」と話し合い、止める人もあったのに聞き入れず、みんなで追い駆けまわし、とうとう正福寺裏の大竹薮の中に追いこんでしまった。
追いつめられた白狐は、今はこれまでと観念したか、じっと目をとじ、自分の悲運を歎くかのように、身動きもせずうずくまってしまった。
その姿は、ちょうど「命はお助けください。そのかわり御恩報じはいたします。」と 訴えているようであった。しかし、暴れ者の浜子たちは、とうとう打ち殺して、みんなで寄り集まって食べてしまった。
いっぽう、牝の白狐は、京へのぼったはずの牡がいつまでたっても帰ってこないので、自分で尋ねて行くことにした。ようやくにして、末武の近郊まで来ると、この地方の眷属(けんぞく)たちから、牡の悲業の最期を聞かされ、夜も日もなく歎き悲しんだ。その頃から西市のあたりは、毎夜のように火事が起こりはじめた。火の気のない軒端や、高い屋根の棟から、突然に火をふいて焼けはじめることもあった。
村の人々は、夜もおちおち眠れず不安な日々を過ごし、仕事もろくろく手につかず、みんながおろおろしていた。そこで、心ある人たちが集り、「これはきっとあの白狐のたたりに違いない。」と話し合い、相談の結果みんなで浄財を集め、正福寺の境内にこの白狐を祭るお宮を建て、懇ろにその成仏を祈り続けた。
それからは、不思議と火事もなくなったので、「鎮火稲荷」として近郊へも、その霊験(れいげん)のあらたかなのが知れわたり、多くの人々の尊信を集め、正月初午の日には盛大なお祭りが催され、遠近からの信者の参詣で一日中にぎやかである。