22 上地の古老に聞いた話(あげじのころうにきいたはなし) (花岡地区)

34 ~ 35 / 168ページ
 大正の中頃であったろうか、部落に話上手な六十才ぐらいの老人がいて、近所の子供を集めては昔話をしていた。いつも、正月・盆・泥落しといった、部落の人が休む日にきまっていた。
 話はいろいろあったが、なかでも、元和三勇士、真田大助、後藤又兵衛といった豪傑ものが多かった。ある日、今までとは全く変った次のような話をした。
 それは、明治のはじめ頃のでき事である。この地方に、電線工事が初めてなされる事になったのである。当時の日本人には、まだまだ手に負えない事業である。仕方がないので「英人技師」に援助してもらうことになったという。その英人技師が、現地の下見のため花岡に立ち寄ることになった。当時の人々は、外国人というだけで恐れてふるえあがる者が多かった。
 丁重にもてなすよう、役場から部落に指示・連絡があると、「それ、異人が来る。」ということで大変な騒ぎとなったのである。女の人たちは、顔に墨をぬったり、股引(ももひき)をはいたりして男に見せかけ、また、男達は異人が来たら、部落の天王社にたてこもり、そこを本拠にして部落を警備しようということになった。夜になると、それぞれ手分けをして守備につき、隊長は火縄銃を持って部落を誰何(すいか)して歩いた。まことに物騒千万なありさまであった。返事をしなかったら撃たれるという、すこぶる危険なことになってしまったのである。兵糧は多量に天王社に持ち寄り、麦飯に沢庵で気声をあげたというから、今から思えばこっけいなことでもある。
 あるお婆さんが、花岡の町に買物に出て、異人が本当に来るということを聞いて、ガタガタふるえ出し、足が立たなくなったが、ようやくの事で部落にたどりつき、「来たぞー来たぞー。」とわめいたその声が断末魔の叫びのようですごかったということである。
 その後、何ということもなく下見も無事に終ったという。
 これは、私がかすかに覚えている幕末延長記であるといって言葉を結んだ。しかし、この話を聞いていた子供達の中には、笑う者は誰もいなかった。また、当時の天王社は今でも残っている。