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下松市の民話・伝説
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[花岡地区]
26 木の大砲(きのおおづつ) (花岡地区)
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末武下に、合武(ごうぶ)三島流砲術師(この砲術の開祖は大内氏の末葉という「森重靭負都由」)一門があった。ペリー来航による外寇御禦場(台場)への参加を要請され、一門の「沓屋為之助」「安部貞虎」を派遣した。
安政二年(一八五五)二月七日、二人の出発に際し、武運長久を祈り、和田川沖合で、砲火五発を打ちあげている。大砲は、目方百貫目(約三百八十キログラム)で、木筒に鋳掛輪(いかけわ)をかけたものである。弾は、直径六糎(センチ)ぐらいの石を用い、約千数百米(メートル)ぐらい飛んだということである。