この社は、欽明(きんめい)天皇の御代(六世紀中頃)山城(やましろ)国(京都府)より松尾神社の御分霊を祭り、その後、天安元年(八五七)豊後(ぶんご)(大分県)の宇佐神宮の御分霊を勧請(かんじょう)したと伝えられる。
松尾の神は、「甘雨の神」「めぐみの雨をたれたまう神」としてあがめられている。
生野屋(いくのや)の宮本・中村・西村の土地は、水が少なく、わずかな河川の流れと、溜池(ためいけ)による潅漑(かんがい)だけで、旱天(かんてん)が続くと旱魃(かんばつ)になり、雨迄い神事が行われている。
真夏の酷暑(こくしょ)の中、百姓さんたちは、みの・かさを身につけ、手に手に桶(おけ)を持ち、大海町(おおのみちょう)沖まで三粁(キロ)強の道のりを往復して、海水を汲み取り、社殿の屋根まで洗い清め、次に神官が御祈祷(ごきとう)をおこなうのである。
近年では、昭和十年代まで行われ、御霊験(ごれいげん)もあらたかに、神事の最中に雨が降りはじめたと、いい伝えられている。