42 平家の落人と耕作稲荷(へいけのおちうどとこうさくいなり) (本浦地区)

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 いまからおよそ八百年のむかし、寿永四年(一一八五)、壇の浦の合戦に敗れた、平家の残党が、のがれのがれて、やっとのことで、この笠戸島にたどりつきました。
 当時としては世を忍ぶ身で、食べるものも、飲むものもなく、疲れはててしまいました。そこへ、一匹の白狐が現われ、私についてこいといい、水のある場所へ案内したのが、いまの東風浦(こちがうら)といわれています。
 やがて、この水をひいて田をつくり、ここに住みつくようになったといいます。この話を伝え聞いた後の人々が、この時の、白狐の恩を感謝して、神として祭ったのが、耕作稲荷といわれています。
 地元の人たちは、「耕白さま」とも呼び、やしろの奥に、大きな洞穴(ほこら)があり、むかし、白狐が住んでいたといわれています。春のお彼岸ごろに、お祭りがあって、「市(いち)」が立ち島の人々はもちろん、本土からもたくさんのお参りがあり、大変にぎわって、霊験(れいげん)あらたかであったといわれております。
 むかし地元の人たちが、畠に種芋を伏せますと、すぐ荒されて困っていました。ところが耕作さまのお祭りをしたり、その、祈祷(きとう)のすんだお札を畠に立てると、荒されなくなりました。これは今でも、行われています。