本来この十郎兵衛という人は気の小さい人で、用事で笠戸の部落へでることがあっても、途中狐のでる寂しいところがあるので、夕方になると帰りを急ぎ、急な山道を石につまずきながら、ほうほうのていで帰るのが常でした。
十郎兵衛は、何とかして誰にも負けない強い人間になりたいと、山を歩きながら、考えていますと、目の前に現われたものがありました。見上げると、大きなつるが幾重にも巻きつき、高さも何十丈とある岩でした。何とかしてあの上まで登って見ようと、全身に力をこめて登り始め、やっとのことで頂上にたどりつきました。
下を見ると目も眩(くら)むような高さで、真青な海が目に入りました。
震える足に力を入れてしばらく立っていましたが、ふとここで修業をすればきっと誰にも負けない強い人間になることができるであろうと考えました。
それ以後十郎兵衛は暇さえあれば、この岩の上に登って静かに眼を閉じ修業していました。里の人はこれを見て天狗さまが岩の上で修業していると噂(うわさ)をするようになり、こどもたちもこの岩の下を通る時は、上も見ずに急いで通りました。
それからというものは、修業のおかげで心身共に強くなり、仕事をしても人一倍できるようになりました。その上山の中の田畑も見ちがえるように立派になり、今まで恐れていた寂しい山道も、平気で行き来できるようになったので、狐の方が、恐れて出なくなったそうです。
この岩は、今も天狗岩と人びとに呼ばれて、語りつがれております。