49 大浦の金の茶釜(おおうらのきんのちゃがま) (深浦地区)

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 笠戸島の大浦は、何百年も前から、笠戸七浦のひとつに、数えられるように、大変景色のよい所で、すぐ前には、火振岬(ひぶりみさき)が続いています。むかし、壇の浦で敗れた、平家の残党が九州に逃れ、また、流れてこの大浦の地に住みついたのが「矢野家」で、本家と新宅の二軒が永く続き、二町歩余りの田畑を耕して、生活していました。
 ある年、大しけがあり、船が難波して、この浜に流れつきました。船員たちは、死後の葬(とむら)いをたのみ、死んでしまいました。その時に、手渡した宝物の中に、金の茶釜がありました。伝説によれば、この金の茶釜が本家にあり、それで家の者は、お茶を沸かして飲み、大名生活をしていたということです。しかし、どこで聞いてきたのか、ある夜、家の者が寝静まった頃、泥棒がはいり、この金の茶釜はとられてしまいました。
 本家では、早速人を雇い、さがさせましたが、なかなか見つかりません。そのうち、お金も使い果し、遂には家も傾き、本家は絶えてしまったということです。